◇牧師室より◇

民主主義はお互いが対等な立場で意見を交わし、最後は多数決で事を決める考え方であろう。多数決で決着していく時、少数者の意見をどのように尊重するかが民主主義の深さを示すバロメーターになる。

東京都教育委員会は「日の丸・君が代」を強制し、従わない教師を大量処分している。「日の丸」を掲げ、起立して「君が代」を歌うことによって愛国心が養われるとは思えない。まして、歌わない者を罰するという強制では愛国心も萎えてしまおう。都教委は更に「職員会議での挙手や採決の禁止」の通達を出している。会議は意見を出し合って挙手による採決で進めるものである。これを禁止するというから、驚きを超えて、恐怖を感じてしまう。

雑誌「世界」で、この問題を池添徳明氏が取り上げている。都立三鷹高校の土肥信雄校長は都教委の通達に「現場から言論の自由を奪うものだ」と批判している。土肥校長は大手の商社マンであったが、談合問題に直面し「不正は許せない」と退職した。「自分の意見が反映できる職場で働きたい」と通信過程で教職の免許を取得し、公立小学校の教員になった方である。池添氏は「現職校長が教育行政に公然と反旗を翻すのは珍しい」と書いて、言論封殺に異議を唱えることは珍しいことと解説している。土肥校長は下記のように語っている。「校長連絡会で校長が異論を唱えることも許されない雰囲氣なのが東京都の現状です。民主主義で最も重要な言論の自由が許されない教員が、生徒に民主主義を教えられるわけがない。僕は自分自身のことを、平和な日本を愛している愛国者であると思っていますが、愛国心は他人から強制されるものではないし、他人から強制される愛国心は怪しいと思って疑ってほしいと、日ごろから生徒には話しています」。

意見を出し合って事柄を決めていく過程が大切である。意見の違いを認めつつも、共通の目的に向かって進むところに互いの成長と喜びの共有がある。初めから「結論ありき」の管理教育では生きた教育は望めないだろう。

主イエスの時代、ファリサイ派の人々は律法による差別管理社会を徹底させていた。これからの人間解放を主イエスは福音としたのである。