◇牧師室より◇
私たちの教団では、未受洗者を聖餐に与らせた北村慈郎牧師への「退任勧告」問題に関して議論が激しく戦わされている。北村牧師は個人的ではなく、教会で学びを重ね、総会で決議して執行している。
未受洗者を聖餐に与らせないとする立場を「クローズド派」とし、与らせるとする立場を「オープン派」とすれば、私は下記のように両派の主張を受け止めている。
「クローズド派」は教会の伝統や制度を守り、教会はこの世にあるけれども、他の集団とは異なる、神に根拠を置くアイデンティティを強力に確保したいという考えのように見える。聖餐をクローズドにしたのは教会で決めたことで、その教会で培われた信仰に時代を超えた力と命があると主張している。教会とこの世を二元論的に捉え、それは原理主義に近づいていくことになろう。
「オープン派」は主イエスに聞こうという立場のように見える。主イエスは聖餐に与れる資格について語ってはいない。しかし、言葉や業などから、排除ではなく、受容だと理解し、神の支配は教会だけでなく、この世の全てに及ぶと主張している。教会も相対化し、この世との関係性を深めようとする考えであろう。
この問題は、福音理解と宣教論に関わる教会にとって真理問題であるから、多様な主義主張が説かれ、議論は激突し続けるであろう。
私は、東京神学大学を卒業した。大学は諸々の学説を公平に扱う知性が求められる。ところが、東京神学大学は「クローズド派」に組する立場を取り、大学の知性を放棄してしまった。一宗教団体のようになったことが残念である。