◇牧師室より◇

めがねを買い替えた。遠近両めがねにはさほど不自由はなかったが、読書用めがねでは目に力を入れなければ読むことができず、辛くなっていた。買い換えためがねでは文字が目に飛び込んできて、楽になった。めがね屋で調べてもらったところ、3段階くらい進んでいたそうである。また私の目は弱いと言われた。確かに、私は目から疲れが現れる。

主イエスは山上の説教の中で下記のように語っておられる。「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」今回も、めがねが合えば、きれいに見えることを体験した。族長のイサクもヤコブも老人性白内障であろう、目が濁り見えなくなったようである。

しかし、体の部分でマイナスイメージを譬えるのは不適切なことがある。主イエスは律法学者たちを「彼らは盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう」と譬えておられる。この譬えはいただけない。私は今まで4人の盲人牧師と知り合ったが、その方々は皆個性的で、素晴らしい働きをしておられた。目が不自由であっても、適切に指導(道案内)できる方は沢山おられる。