◇牧師室より◇

岩波の月刊誌「世界」の9月号は「死刑制度を問う」を特集している。アムネスティー・インターナショナルは、2008年現在、死刑廃止国は92ヶ国、例外的な犯罪にのみ死刑を規定している国11ヶ国、過去10年間執行していない実質的廃止国34ヶ国で、計137ヶ国、つまり世界の7割が法律上、あるいは事実上廃止していると報告している。

殺人事件70年代に比べると半減しているにもかかわらず、死刑判決が増えている。厳罰化を求める世論は高まり、死刑制度の支持率は80%にも及ぶ。鳩山法務大臣の在任中、13名もの死刑が執行された。日本は世界の中で特異な国と言えよう。

この状況を背景に死刑問題を問い続けている二人の識者の発言を紹介したい。亀井静香衆議院議員は「強者の論理で人間を抹殺してはならない」と題するインタビューで下記のように語っている。「現在の日本社会の雰囲気は、少々異常なのではないかと思うことがあります。強者が弱者を自由に貪り食っても構わないという風潮が蔓延している。人間関係を競争としかとらえられなくなった。その風潮の行き着く先は、邪魔なものは消せばいいという刺々しい人間関係であり、さらにその延長線上に、いまの死刑支持の国民世論があると思います。社会に閉塞感が蔓延して、代償満足として厳罰化を求める。みんな忘れているのですよ、自分自身も環境や場合によっては、凶悪犯罪を犯す羽目になるかもしれないことを。」

「死刑は社会を野蛮にする」と題する安田好弘弁護士との対談で、死刑囚と深い繋がりを持ってきた作家の加賀乙彦氏は下記のように語っている。「国家が殺人を犯すということは、国家が禁止している殺人を肯定することになってしまうのです。ですから死刑という刑罰は、殺人を肯定するという意味において、非常に矛盾した刑罰なのです。実際死刑は野蛮です。野蛮というのは、行為自体が野蛮なのではなく、それによって醸し出される思想や価値観が野蛮なのです。」

死刑は、多寡の問題でなく、また、個々人に関わる特殊な問題だけでもなく、社会が持っている文化のあり方が問われる問題であろう。それは、犯罪者を抹殺すれば済むことではなく、犯罪を生み出す土壌を的確に認識する科学が必要であるということである。そのためにも、死刑は真実を闇に追いやることしかしていない。被害者に同調して、正義感を振り回すのではなく、自分がいかに他者に被害を与えて生きているかを知ることが大切である。そして、赦し、赦されるところでこそ生きる喜びが共有できるのではないか。