牧師室より

私たちは病気にかからずに、過ごすことはできないでしょう。誰でも耐え難い病気に襲われることがあります。病気は生きていることの証拠であり、また、働き過ぎにブレーキをかける恵みとも言えます。病気になると身体はもとより、心も弱くなってしまいます。体の苦しみと心の弱さの中から、神さまに癒しと病気を乗り越える力をいただきたいと切に祈り、求めます。

教会には大勢の方がおられますから、誰かが病気と戦っています。その時、病気の方を心配して、お見舞いの電話をかけることがあります。もちろん、善意で電話する訳ですが、その善意の電話が5件重なったら、病状について同じ説明を繰り返さなければなりせん。10件ともなると、もう拷問にも近い苦痛となるでしょう。また、愛する家族を失った方へ慰めるつもりでかけた電話でも、重なると大きな負担になります。

電話を遠慮してほしいという声をしばしば耳にします。負担をかけないように配慮する心くばりも必要です。あの方と自分とは特別に親しい関係にあるからという思いもあるでしょうが、話しをしたい時、また必要な時には、向こうから電話をかけてくるでしょう。もちろん、継続的に関係を持っている方の場合は例外であることは当然です。

返事を求めない、慰めの葉書やカードが本当に嬉しく励まされます。何ヶ月か経てば、元気を回復して、感謝の言葉が返ってくるでしょう。病気の方々とそのご家族のことを覚えてお祈りください。