牧師室より

秋葉原で通行人7人が犠牲になった通り魔事件から1ヶ月半が過ぎた。容疑者の家庭環境や成育歴や特異な資質などが生み出したと捉えることによって事件の全容を解明できるとする考え方がある。そこでは、容疑者個人の責任による事件であると主張されている。反面、容疑者を取り巻く社会的要因に負うところが多いとする考え方もある。それは、派遣工として精神的には孤独であり、経済的には困窮し、将来的にも希望が持てない、行き詰まった状況が引き起こした犯罪であると見なしている。

しかし、そのような環境にいる派遣工は彼だけではなく大勢いる。事件は彼の環境や資質に負うところが多く、責任は彼にあると言わなければならないが、社会的背景と深くつながった事件であることも確かであろう。鬱屈した思いから無差別殺人を犯すという事件は10件を越えている。秋葉原事件以降、インターネット上には殺人願望や予告の文言が続き、そして、その書き手は全て仕事に恵まれていない若者だという。

月刊誌「世界」に6,500人が働いている企業の例が報告されている。3,500人が「正社員」、2,000人が有期契約社員として働く「期間工」、残りの1,000人が「派遣工」。給与は正社員が500万円、期間工が400万円、派遣工は月60時間の深夜残業をこなしても250万円。この3者は立場が違うので会話が成り立たない。労働者が共闘できないように分断されている。「オマエは正社員か?」と言うので、「いいえ、派遣です」と言ったら、「派遣か、人生終わりだな」と言われました、と恐ろしい会話を伝えている。

1999年に労働者派遣法が改正され、専門的業務に限って例外として認められていた派遣労働が原則的に自由化された。2002年には、製造業でも派遣労働が解禁された。その背景は明らかである。前述の会社では正社員の数を制限することによって45億円の人件費を削減したことになる。グローバル化された競争激化の中で、派遣工の存在を必要とする会社側の主張を通した訳である。

 秋葉原事件の容疑者は「300人のリストラだそうです。やっぱり私は要らない人です」「高校出てから8年、負けっぱなしの人生」「一つだけじゃない、いろんな要素が積み重なって自信がなくなる」と悲しい独り言をつぶやき続けている。

 将来の展望を持つことができない労働者を数多く生み出す社会が荒廃しないはずはない。人をもののように扱う派遣法をまず変える。働く人が大切にされ、技術が蓄積していく社会であってほしい。そうすることによって、無差別な殺人犯罪は少なくなるのではないか。