牧師室より

広島女学院原爆死没者追悼礼拝を私たちの教会で捧げた。同学院は爆心地に近かったため、350の方々が犠牲になった。その大半13歳から14歳の女生徒たちであった。彼女たちの残し得なかったメッセージを伝承したいという願いを持って「夏雲 逝きしものへのレクイエム」という証言で綴られたドキュメンタリーフィルムを製作している。同学院は全国に同窓会ブロックを持っていて、各ブロックが持ち回りで「夏雲の集い」という名の「原爆死没者追悼礼拝」を守っている。今年は関東ブロックが当番になっていた。その担当になっている方を「港南台9条の会」で紹介された。私は「原爆死没者と関わりが持てるようなことができるなら光栄です」と申し上げた。それは、同学院で学ばれた姉から「広島女学院同窓会被爆60周年証言集 平和を祈る人たちへ」を読ませていただき、大変感銘を受け、若い命を無残に奪われた彼女たちを追悼する礼拝に用いられることは嬉しいと思ったからである。

被爆して召された方々は言葉を残すことはできなかった。生き残った方々は必死に証言を書き残している。しかし、彼女たちは口を揃えて「あの地獄は文字では著し得ない」と書いている。確かに経験した者でないと分からないことであっただろうが、広島の惨劇の事実は語り継がなければならない。それが平和を作り出す力となるからである。

私は証言集の中で下記の言葉に深い感銘を受けた。「原爆を体験した私たちの多くは、被害者としてのアイデンティティーを当然としてきた。むろん、日本がアジア各国で何をしてきたか、私たちの多くが知らされてこなかった歴史教育にも問題があった。しかし、多くを知った今、犠牲を出したのは日本だけではない、戦争はアジア地域の国々に理屈では説明しがたい犠牲を強いてきた。」

ご自分は原爆被害者であるにもかかわらず、日本のアジア諸国への加害の実態を知る必要があり、それが真の和解、平和を生み出すのではないかと訴えておられる。日本は被害者意識が優先し、加害者として認識が遅れたため、加害認識を「自虐的」といういびつな意識を生み出した。ドイツは近隣諸国から加害の実態を厳しく告発され、その記録もあったため、戦争責任を真正面で受け止め、補償を責任的に担った。そのことによって、ドイツは平和を実現する国として国際的な信頼を得た。被害と加害の実態を知って、戦争の全体像を認識でき、そこから平和への視点が開かれてくる。

原爆死没者への真の追悼は彼女たちの無残な死を語り継ぎ、また「平和を求めて、共に生きよう」と隣人に語り続けることであると思う。