牧師室より

教会創立28周年記念礼拝を感謝を持って捧げた。お招きした関田寛雄牧師はマタイ福音書1613節から20節までのみ言葉から「この岩の上にわが教会を」という題で説教してくださった。

関田牧師は教会を真実の教会にする二つの要因について話された。一つは「イエスをメシア・キリストと信じ告白する群れ」であることである。主イエスは「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と弟子たちに主体的な返答を求められた。ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と応えた。このペトロのキリスト告白はローマ皇帝礼拝が強要されていたフィリポ・カイザリアでなされた。諸々の神々が存在する中で「イエスこそメシア・キリスト」と信じ、告白するところに教会が建つ。日本はかつて天皇を現人神として、生と死を天皇に預けた。教会も同じ立場をとって、天皇崇拝を表してから礼拝を守った。関田牧師はご自分の若い時の苦い経験から、懺悔を込めて「キリスト告白」の重大性を力説された。

二つ目は、主イエスはペトロのキリスト告白を受けて「この岩(ペトロ)の上にわたしの教会を建てる」と言われた。これは初代教会においてペトロを権威づけるための記述と思われる。そのペトロは岩と言われているが、挫折と失敗を繰り返している。主イエスが大祭司の中庭で尋問されていた時、ペトロは「ナザレのイエスと一緒にいた」と名指しされると、「そんな人は知らない」と三度も力を込めて否んだ。ところが、復活した主イエスはペトロに現れて、赦しを与えられた。岩(ペトロ)の上に建てられた教会とは「罪赦され、神の憐れみに生きる証人の群れ」であるということである。赦されて建つ教会は「共に生きる」和解と平和を証しする。関田牧師はみ言葉から28周年を迎えた私たちの教会に指針と励ましをくださった。

午後は、「主の晩餐(聖餐)について」基本的な講演をいただいた。現在教団は、未受洗者が聖餐に与ってよいかどうかに関して激論が戦わされている。私たちの教会でも学びを深めていかなければならない。その第一歩としての研修会で、関田牧師は主イエスとの生き生きした交わりを約束する「主の晩餐(聖餐)」を明快にお話しくださった。

私は与えられた「信仰」から他者とは違うという壁を作って排除することは主イエスの無限の赦しと受容の思いから逸脱するのではないかと思っている。罪の赦しを共有し合って喜ぶことが福音であろう。