牧師室より

N.K姉とO.H姉は戦前、朝鮮の光州で同じ小学校に通っていた。もちろん当時は知らなかったが、この教会で分かり「先輩、後輩」と親しく呼び合っておられる。お二人が過ごした光州で、19805月に「光州の虐殺 」と言われる出来事が起こった。軍事政権が軍隊を送り込み、民主化を求める学生、市民と衝突し多くの人々が虐殺された。その出来事が「光州518」という題名で映画化された。映画を観たN.K、O.H姉のお二人から観に行くように強く勧められたので川崎まで観に行った。

光州に突入した軍隊は同胞を殺すので、普通の神経では耐えられない。凶暴になる特別な薬を飲まされていたという話を読んだことがあった。映画は「光州の虐殺」を忠実に再現し、同胞同士が殺し合う残酷なシーンが続いた。その中で、兄弟、親子、恋人、夫婦の4組の愛が無残に砕かれていく悲劇を描いていた。命をかけて光州市民を守ろうとする若者たちの韓国人らしい情熱的なヒューマンドラマであった。

韓国では長く続いた軍事政権の下で多くの人の血が流された。血で贖われた民主主義と言ってもよいと思う。そして、映画を観ながら二つのことを思った。一つは現在、イラクやパレスチナでは自爆テロや戦禍によって何十人が殺されたと無機的に報道されているが、その背後には愛し合う家族、友人たちの耐え難い悲しみがあるということである。私たちは最善の医療と篤い看病を尽くしても家族を失った時には埋められない喪失感を味わう。テロや戦禍で理不尽な死を強制された家族は深い悲しみと憎悪が堆積するであろう。無機的な報道の中から、人の心の重さを察知する感性が大切ではないか。「光州518」はそれを訴えていると思った。

もう一つは、軍事政権の横暴さである。政治権力は常に自らの体制を守ることに熱心であるが、軍事政権はことさら政権維持に熱心である。「光州の虐殺」を引き起こした軍事政権は暴力をもって国民を虐殺し、それを隠蔽し続けた。

ミャンマー(ビルマ)の軍事政権はサイクロン被害に対して他国の支援を拒否していたが、ようやく受け入れを表明した。しかし、どこまで開いていくかが問題であろう。