牧師室より

ドキュメンタリー映画作家で、「東京番外地」などの著作で知られている森達也氏が「死刑」を上梓している。森氏3年間に渡り、死刑囚を含め、死刑に関わっている色々な人にインタヴューをして、死刑とは何か、また死刑の存続か廃止かについて論を進めている。

死刑囚が自分の番ではないかと朝ごとに味わう恐怖、彼らと家族のような関係にある刑務官の苦悩、そして絞首刑の残虐さが伝わってくる。

先進国と言われる国で死刑制度を持っているのは日本と米国くらいで、EU (ヨーロッパ連合)に加盟するためには死刑制度を廃止したことが条件になっている。日本では犯罪抑止と被害者家族への配慮から80%が存続支持だそうである。しかも最近は、厳罰化が急激に進んでいる。10年前の1997年は9人が死刑判決を受け、確定したのは4人であったが、2007年は44人が死刑判決を受け、20人が確定している。テレビであおる犯罪者への感情的なバッシングが背景にあるだろう。

死刑には冤罪が付きまとう。死刑確定して28年後、無罪判決を受けた免田栄氏下記のように語っている。「執行される朝、お世話になったって言って食器口から手を入れて握手して、涙を流していく。刑場に行きながら『免田さーん』って、大きい声で私を呼んだ死刑囚がおりました。その声は今でも耳に残っています。消えんのです。どう考えても冤罪としか思えない人もたくさんおりました。」元プロボクサーの袴田巌氏も冤罪ではないかと言われている。袴田氏は長い恐怖の獄中生活で精神に変調をきたしているらしい。

教誨師のT神父は死刑を執行される人を「人間の体温を、他人の温もりを感じることができない。最後に他人の体温を感じてほしいと思って、僕は彼を抱きしめました」と語っている。その死刑囚は「処刑は俺で最後にしてほしいと思っている」を最後の言葉にして刑場に向かった。森氏がT神父に「イエスが執行の場にいたら、何て言うと思いますか」と問うたところ、「暴れるかもしれないね」とつぶやいた。そして、刑具を破壊し、立ち会う人たちを蹴散らすイエスをイメージしたのか「暴れるかどうかわからないけれど、やめなさいって言うでしょうね」と困惑した笑みを浮かべて答えたという。

森氏は死刑に関わる諸々の状況を報告した後、下記のように思いをぶつけている。「人は人を殺す。でも人は人を救いたいとも思う。そう生まれついている。… 僕らはそういうふうに生まれついている。だから改めて記す。… 僕やあなたは罪人を殺すことに加担している。死刑囚については、第三者なのに、死刑制度については当事者なのだ。だからそのうえで思う。冤罪死刑囚はもちろん、絶対的な故殺犯であろうが、殺すことは嫌だ。」