◇牧師室より◇
T.S君が45歳の若い生涯を終えた。17歳の時、駅のホームから落ちて、両足を電車に轢かれ切断した。義足をつけていたが、言われるまで気付かないほど自由闊達に歩いていた。私たちの教会へ転入会した時、私は「君の命は神さまが必要として生かしてくださったのだ。また、厳しい歩行訓練を乗り越えてきたのだから、どんなことでも耐えられるよ」と言った。
子どもの教会のリーダーとして奉仕してくれた。説教は明るく、信仰を力強く、そして分かり易い言葉で話してくれた。青年会でも明るく陽気に会を盛り上げるような交わりをしていた。また、パソコンが得意で種々の資格や免許を取得し、ホームページを開いてブログを楽しんでいた。人との交わりが好きで、また弱い立場の人に心を寄せる優しい人柄で、皆から愛された。
反面、S君は悩み多い青年であった。仕事、恋愛、健康、家族のことなどで、周りからは慰めようがないほど深く落ち込む時があった。今年の正月「今年は礼拝を休まないようにします」と元気に言っていたが、2月頃から電話で度々苦しみを訴えてきた。話を聞いた最後には「君の命は意味があるのだ、あの訓練を乗り越えてきたのだから、大丈夫」と言ってきた。15日(土)の夜、義足をつけずに車に乗って出かけた。曲がり角で、自在にブレーキがかけられず、激突し、そのまま逝ってしまった。苦しみから解放され、神の命に包まれたS君を思う。