牧師室より

イースターおめでとうございます。キリスト教は復活した主イエスに出会った弟子たちが「イエスは生きておられる」と告白した信仰から始まりました。復活信仰がキリスト教の生命です。もし、復活がなかったとすれば、イエスという人が「神の国」を信じ、愛と正義を現したが、エルサレム神殿の宗教的権威とローマ帝国の政治的権力に押しつぶされ、無残に殺されたという事件で終わってしまいます。しかし、弟子たちは復活した主イエスに大きな驚きと喜びの中で出会ったのです。その復活体験は弟子たちの心に、社会から疎外された貧しい者、また病気で苦しむ者を「神にあって生きよ」と祝福された主イエスの言葉と業を鮮やかに甦らせたのです。

人間の世界では死人の復活などあり得ないことですから、主イエスの復活信仰は人間を超えた神が直接関わった出来事であることを信じることです。

私は神学生時代「戦争責任告白」を出した鈴木正久牧師が伝道、牧会していた西片町教会に通っていました。ある年のイースター礼拝で、鈴木牧師は「この教会に主イエスの復活を本気で信じる人5いたら、教会は変わる」と説教しました。その頃、西片町教会には百二、三十名の礼拝出席者がいました。皆、主イエスの復活を信じて礼拝に来ている訳です。しかし、鈴木牧師は「復活信仰者5人いれば、教会は変わる」と信じていない大勢がいることを指摘されました。忘れられない説教で、イースターを迎える度に思い出します。主イエスにおいて啓示された、死を突き抜けた神の永遠の命を信じる時、私たちの生き方が変わることは確かでしょう。

死人の中から復活した主イエスの出来事から、代々の教会は「主イエスは今も、私たちの間で生きて働いておられる」と告白し、証してきたのです。それは、ガリラヤで主イエスが現した愛と正義が、時代のどんな憎しみや不正にも勝利していることを信じることであり、その勝利に私たちの生き方が結び合っていくということです。