牧師室より

レント(受難節)の時、J.D.クロッサン、M.Jボーグ共著、浅野淳博訳の「イエス最後の一週間 マルコ福音書による受難物語」を興味深く読んだ。クロッサン、ボーグ両氏は北米の「イエス・セミナー」という研究グループに属する学者である。福音書はイエスをキリスト(救い主)と信じた著者たちの宣教したキリストを描いている。その福音書から肉を持って生きた「史的イエス」の実像を探り出そうとしているのが「イエス・セミナー」の研究課題である。この研究は近年大変進んだ。しかし、学者によってニュアンスは異なる。それは「史的イエス」像は確定できないということでもあろう。

本書は「棕梠の主日」から復活までの受難週の一週間(正確には8日間)の重要な出来事の意義を解説している。ローマ帝国の支配とエルサレム神殿の権威に抗して、神の王国の愛と正義を証して苦闘するイエス像を浮き彫りにしている。

イエスが負った十字架と神が与えた復活の出来事は「イエスは主である」という信仰告白を生み出す。この告白はイエスが模範を示した神への忠誠を意味する。「神への忠誠はまた、イエスの生き様に表された、憐れみ、正義、非暴力に対する神の熱意をも意味します。憐れみあるいは愛は、イエスの生き様とその教えとにおいて中心的な主題であり、正義あるいは公正とは、憐れみの社会的表現です。換言すれば、愛が正義の魂であり、正義が愛の肉体なのです」と説明している。帝国主義的支配に抗い、神の熱意である愛と正義に応答して生きることが信仰告白の内実であると今日的意味を強調している。