牧師室より

「トラトラトラ(ワレ奇襲ニ成功セリ)」という暗号電報は有名である。真珠湾攻撃の時、日本海軍機動部隊の総指揮官であった淵田美津雄中佐が打った電報である。淵田氏は自伝を書いていたが、病気に倒れ出版できずに召された。書き残していた自伝を中田整一氏は編集し、解説をつけて、昨年の真珠湾攻撃記念日128に上梓している。神学校の同級生であった淵田勝氏と親戚関係にあると聞いたことがあったので、興味を持って読んだ。

 淵田氏は真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦を体験し、被爆した広島・長崎も目撃している。戦後は、ミズーリ号の降伏調印式に立ち合い、マッカーサー司令官の厚木基地への受け入れ準備に関わり、更に、東京裁判では証人として証言をしている。戦中、戦後の曲がり角になった大事な出来事に関わっている。

 武勲を誇った海軍軍人の淵田氏は堺大小路教会で洗礼を受け、クリスチャンになった。そして、その信仰は社会的に大きなインパクトを持っていた。宣教師であった両親を日本兵に殺された米国女性が日本兵捕虜に最大の親切をしている話を聞いた。また、東京を最初に空爆した米国兵士が捕虜になって、日本兵にいじめ抜かれ、復讐を誓ったが、聖書の言葉から愛と赦しを知り、戦後、来日し和解と平和を語り続けているのを知った。淵田氏は、憎しみを捨てて愛を持って関わる姿勢に驚き、聖書を求め、むさぼり読んだ。そして「父よ、彼らを赦し給へ、その為す処を知らざればなり」という十字架のイエス・キリストの言葉に出会った。自分を殺す者のために赦しを祈る姿に神を見た。また、過去の自分に為す術を知らない猛々しい姿を見た。憎しみと敵意から解放された愛と赦しこそが福音であると信じた。そして、和解と平和の伝道者として、日本での証しはもとより、米国各地で宣教活動を精力的に展開した。