牧師室より

教会で上質な「プロポリス」を格安で販売している。これはブラジルの佐々木治夫神父の所で生産されているものである。佐々木神父はブラジルのパラナ州にフマニタス慈善協会を建てハンセン病治療から始め、麻薬・アルコール依存症者の更正、農業指導、生活保護事業など30年以上も続け、土地なし農民の支援活動もしておられる。プロポリスの売上はフマニタスの活動に多少の支援になっている。

 その佐々木神父が一時帰国されたので、「ブラジルの政治状況とキリスト教 フマニタスの活動から」と題する講演会が「なか伝道所」で持たれた。ブラジルが開国されて約500になるが、昔も今も貧しい人々が大勢いる。先住民族とアフリカから連れて来られた人々は人種差別され、土地を持てない、教育も受けられない。現在も、市場原理主義に立つ新自由主義は資本の力によって更なる貧富の格差を生み出している。そして、政治も司法もエリートたちを優遇し、弱者を取り締まるように運用している。彼らは貧しいのではなく、貧しくさせられていると強調された。

 ブラジルの教会は、キリスト教原理主義に立つペンテコステ派の教会が躍進している。彼らとの対話は極めて困難であるという。カトリック教会は第二バチカン公会議以来、世界に開かれてきた。南米で起こった貧しい者への福音を説く「解放の神学」に対しても支援の立場を取っていた。ところが最近は、「解放の神学」を押さえ込もうとするようになり、バチカンは保守化し、極めて閉鎖的になってきた。政治的にも教会的にも行き詰まっているが、共に生きようとする「解放の神学」は息づいている。要は「福音に忠実であるかどうか」である。主イエスは「これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました」と祈っておられる。学者・知者には隠された福音を幼子のように信じ、主イエスに従いましょう、と勧められた。

 その後、大倉一郎先生と渡辺英俊牧師がブラジルとの関わりを話され、そして、フロアーから自由な発言が続いた。最後に、佐々木神父は「たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない」というパウロの言葉を引用し、「私の行いがパウロのいう愛から出たものになるように、皆さん、祈ってください」と結ばれた。老境にある神父が私たちに祈ってほしいと求められる。この砕かれた謙遜が貧しく、弱い人々を支えるあれほどの活動を生み出していると実感した。