牧師室より

朝日歌壇には、夫婦の色々な形が詠われている。「つれそって四十年の永き河ワイン二杯で源流へいく(伊丹市)芦原 学」。ワインを飲むと新婚時代の源流に戻るという。四十年経っても初々しく愛し合う夫婦のようである。私は残念ながら、このようなロマンティシズムを持ち合わせなかった。

「『蒲焼はレンジでチンを九時戻る』妻のメモあり躍る筆跡(名古屋市)藤田 恭」。久しぶりの外出で妻の心は躍っていたのであろう。筆跡から「躍り」を見破る妻への関心度の高さが愛情深さを示している。私は教会に篭城する「家内」で、外で働く妻を見送ってきた。

「歩み寄りながら築きし古希なれど木綿豆腐と絹に術(すべ)なし(埼玉県)柳田主於美」。古希を迎えた老夫婦が木綿豆腐がいいか絹豆腐がいいか言い争いながら寄り添って歩いている。たわいない喧嘩が若さを保つ秘訣なのか。

「腹立てて家事をしないと宣言し食器の片付けしているのは誰?(東京都)高橋義子」。夫婦喧嘩をして心では許せないと怒っている。しかし、手はいつものように家事をこなしている。心と手がバラバラな自分を笑っている。

「これからが本当のさびしさなのだ片づきし和室に残るベッドの跡よ(横浜市)坪島博子」。夫を亡くし、葬式後の片づけがやっと終わった。これから押し寄せてくる寂しさに向き合おうと厳しい語調で、その覚悟を新たにしている。これは誰も避けられない悲しい別れである。私は、教会のご婦人方には「少々の悪妻でもいいから、夫を先に送り出すように」と申し上げている。

「蕎麦畑いちめん花の白ゆるるあなたに会いに墓地へゆく道(夕張市)美原凍子」。夫が亡くなって何年か経つのであろう。いささか余裕を持って墓参りに行っている。