牧師室より

親は子供が生まれてくる時、「男の子だろうか、女の子だろうか、どちらでもいい、元気な子供が生まれてくれば」と大きな喜びと期待をもって待ちます。最近は、生まれる前に性別が分かるようになり、産着の準備には便利でしょうが、何となく夢に欠けるようにも思います。

「週刊金曜日」に63歳の女性が「戦時中の母の喜び」と題して下記のような投書をしています。正岡子規の「五女ありて後の男や初幟(のぼり)」という句を知った。女の子が5人続いて生まれ、最後に待望の男の子が生まれ、初めて祝いの鯉のぼりが上がったという句でしょう。

投書者は、この句と7人の子沢山の母とが重なったという。遠い昔、お母さんから聞いた戦時中の喜びの声が蘇った。「生活は物資不足で苦しかったが、唯一、年子の男児を電車に乗せて歩くとき、とても誇らしく嬉しかった」と言っていた。これは、女の子として生まれた投書者の誕生はさほどの喜びではなかったと言われたのと同然で、いたく傷ついた。子規の句から、母の喜びの声を自分には哀しい響きとして聞いた昔を思い出したのです。

戦時中は兵士になる男の子を沢山生むことが賞賛されました。女の子が生まれた親が「良かった。これで戦争に行かなくても済む」と喜んだという話を聞いたことがあります。それはごく一部で、当時は男児の出産は誰からも待望されました。投書者は「『戦後レジームからの脱却』とやらのフレーズの下、『学校教育法』から『男女平等』の文字が消えた。この先『産めよ増やせよ男児を』の時代の再来だけは、ご免蒙りたいものだ」と書いています。

家制度がきっちりあった時代は 嫁に行けば、後継ぎの男児を生むことによって嫁の地位が安定するとされました。子供を生まない嫁はそれだけで離縁されるという人権無視がしばしばありました。これらの男尊女卑は克服されているでしょうか。投書者は最後に「戦争と家制度があった頃、どんなに女性は生き辛かったことでしょう。歴史の逆戻しは許さない」と結んでいます。

神さまは男と女を見合う数で生まれるよう塩梅してくださっています。女も男も自分らしい生を全うできる世の中にしたいものです。

今日は「敬老の日」、高齢者も安心して暮らせる世の中でありたいものです。子供は将来があるから、親は手をかけて育てます。高齢者は家族と社会のために懸命に働いてきました。その方々に敬意を表し、大切にするのが本当の文化ではないでしょうか。