牧師室より

私は旧満州の大連で生まれた。3歳の頃であったと思う。玄関から出たとたん、石が飛んできて私の頭のてっぺんに当り、頭は血まみれになった。もちろん大泣きした。石を投げたのは、日本人住宅のごみ箱をあさっていた小柄な中国人女性であった。彼女の行動の意味を理解したのは、大人になり日本と中国の歴史を知ってからであった。彼女は中国を侵略した日本人が憎かった。大人に手向かうことができないので、幼児の私をターゲットにしたのである。

中国残留孤児たちは私とほぼ同年代である。孤児報道を見る度に、私もその可能性があったと大きな関心を寄せている。彼らの多くは奥満州の開拓団に入った人々である。国策に従って、食料増産のため中国に渡った。しかし、戦争の激化と共に、若者たちは現地召集され、老人と女性と子供しか残らず、国が計画した目的は果たせなかった。そればかりか、敗戦間際には、彼らを守るべき関東軍は撤退した。ソ連軍が参戦し、中国人の怒りも爆発し、地獄の逃避行を強いられた。多くの方々が殺され、また自爆、毒薬などで集団自決をしている。逃避行の足手まといにならないように、自ら入水した老人もいる。中国人の妻になった人、そして置き去りにされた子供たちもいた。最近、帰国した孤児と政府の間で保障に関して和解に達した。

今年の7月に「中国農民が証す 満洲開拓の実相」という本が出版された。開拓団を送り込んでいった状況が克明に検証され、当時の中国農民からの証言を集めている。凄まじい収奪の植民地政策であったことが歴然としている。地価の何十分の一の値段で土地を買い取り、農家を奪い、中国人を牛馬のようにこき使った。反抗する者は容赦なく殺害した。武器を所持する武装移民であった。あまりにひどい植民地政策に耐えられず、中国人側に組し、その地で生涯を終えた人もあるという。中国農民たちは「日本侵略者」と言葉をそろえている。

日本人の被害については多くの証言がある。反対側の中国人からの証言に、想像していたとはいえ、その加害の深刻さに圧倒された。

最近、歴史の事実を捻じ曲げる論調がいたるところで見られる。それに対して、誠実に事実と向き合おうとする人々もいる。この本は、その視点で書かれている。

子供の頃から私の頭のてっぺんに、一円玉くらいの禿げがあった。投げられた石の傷あとである。その禿げは現在大きく広がっているが、当然であると思い至っている。