牧師室より

富坂キリスト教センター編「十五年戦争期の天皇制とキリスト教」が出版された。カトリック教会、日本聖公会、プロテスタント諸教派、無教会、そしてキリスト教系学校などが15年戦争中、天皇制とどのように関わったかを歴史的に検証した600頁を越える大部の本である。

「神社は宗教にあらず、神社参拝は国民儀礼である」といわれた問題について、当初は偶像礼拝として否定的に受け止める教派があった。ところが、天皇、皇室への崇敬の念は共通して驚くほど深いものであった。

 神道を基盤にし、天皇を現人神とする強力な天皇制が体現していく中で、教会は見事に迎合していった。政府にとってキリスト教は邪魔者だったのであろうが、神道、仏教と同等に認めると言われ、プロテスタント諸教派は喜んで「日本基督教団」へと合同し、政府に擦り寄っていった。「生活綱領」の最初に「皇国ノ道ニ従ヒテ信仰ニ徹シ各其ノ分ヲ尽シテ皇運ヲ扶翼シ奉ルベシ」と謳っている。キリストへの信仰は国体に奉仕するものとして捉えられている。ホーリネス教会が弾圧のターゲットにされたが、それが更に国体への従順を加速した。権力の見事な懐柔政策に感嘆する。土肥昭夫氏は、偽善的ではなく、信仰に基づき真面目に行動した事実を認めるべきであると分析している。

 しかし、国と信仰の間で抵抗をした人々もいる。それらが「声」として公になることはなかった。また、復活信仰の教義について政府から干渉された時、交渉に当った教職たちは殉教も覚悟しなければならない」と語り合ったと伝えられている。

ドイツではヒットラーに心酔して服従する「ドイツ・キリスト者」が台頭した。しかし、ヒットラーへの不服従を表明するキリスト主権を告白した「バルメン宣言」を核として「ドイツ教会闘争」が展開された。この闘争は惨敗であったけれども、戦後は「バルメン宣言」の神学が教会を刷新した。

日本基督教団は戦後、責任を表明することも体制を変えることもなく、手のひらを返したように、米国の民主主義を謳歌した。心ある人々は教会に対して不信感を持ったであろう。

私たちは15年戦争中の教会の歩みを責めることはできないし、その資格もない。事実を直視し、キリストの主権を信じる教会は、今日の状況において、どんな告白に生きるのかを真摯に問い続けることである。