牧師室より

米国の下院外交委員会は、従軍慰安婦問題に関する決議を賛成39、反対2の圧倒的大差で可決した。決議は、日本政府は取り返せない悲劇を負わせた従軍慰安婦の事実を認め、謝罪し、保障し、若い世代への教育を求めたものである。日本国民が政府に要求し、実行させるべきことであるにもかかわらず、外国の議会からこのような議決をされたことは、本当に恥ずかしいことである。

安倍首相は軍による「狭義の強制性」はなかったと語った。これに、米国のメディアは激しく反発した。慌てた安倍首相は従軍慰安婦を認めた「河野談話」を継承すると言い換えた。その後、国会議員と文化人の有志がワシントン・ポスト紙に「軍の直接的な関与を示す文書はない」という意見広告を掲載した。この意見広告が下院外交委員会の決議を更に促進させた。

歴史を捻じ曲げず、事実を事実として受け入れる中で、明日への共生と平和が開ける。謝罪は苦しいことであっても、決して自虐的なことではなく、新たな生き方を明示、実行する深い意味と力を持っている。

共和党のロイス議員は「昨日のことに誤って対処すれば、正しい明日を得ることも難しくなる」と述べている。また、ナチスのホロコーストの生存者であるラントス外交委員は「国家の真の力は、その歴史のなかの最も暗い一幕を突きつけられた時に試される」と語っている。

私がショックを受けたのは意見広告を出した中に、追加情報として、富岡幸一郎氏の名前を見たことである。富岡氏は、内村鑑三を論じた「非戦論」を著した。帯には「21世紀の『非戦論』構築に挑む、俊英の根源的思索」と書かれていた。私も感銘を受けたので、教会の説教と講演に招いた。その後、富岡氏は資料が著しく偏っている「新大東亜戦争肯定論」を出した。帯には「あの戦争は恥ずかしい戦争ではなかった」と書かれている。そして、新自由主義史観グループと急接近した。

私たちの日本基督教団は1967年に「戦争責任告白」を出し、謝罪表明を公にした。私はこれにしっかり立ちたいと思っている。