牧師室より

K.N姉が、サラリーマンがよく読んでいる「文藝春秋」を読みなさいと貸してくださる。世の中のことを知りなさいというご親切だと感謝している。

作家の五木寛之氏と数学者の藤原正彦氏による「わが引揚げ体験と昭和の歌」という対談を掲載していた。お二人も私も引揚者で、年代も近い。引揚げ時の悲劇を語り合っている。どのくらいの人が殺され、病気と飢えで落命したのだろうか。また、お二人で、歌謡曲の素晴らしさに薀蓄を傾けているが、語り合っている歌謡曲は私もほとんど知っている。

霧島昇の「誰か故郷を想わざる」。「橇の鈴さえ寂しく響く」の「国境の町」、「友よ辛かろう切なかろう」の「異国の丘」、この二曲は私の十八番である。高峰三枝子の「湖畔の宿」は旧満州で「昨日生まれた豚の子が蜂に刺されて名誉の戦死」と替歌で歌っていた。淡谷のり子の「窓を開ければ港が見える」の「別れのブルース」。古賀メロディの「酒は涙か溜め息か」「影を慕いて」。「およばぬことと諦めました」の「雨に咲く花」。「伊豆の山々月あわく」の「湯の町エレジー」。「ハバロスク ラララ ハバロスク」の「ハバロスク小唄」。大流行した「青い山脈」と「山のかなたに」。美空ひばりの「リンゴ追分」「津軽のふるさと」、これは難しくて歌えない。田端義夫の「別れ船」、私は「かえり船」が好きである。小畑実の「勘太郎月夜唄」。東海林太郎の「男心に男が惚れて」の「名月赤木山」について、対談の中で語っていないのが不満である。「ラジオ歌謡」から生まれた「さくら貝の歌」、「あざみの唄」。高英男の「雪の降るまちを」。「こんな女に誰がした」の「星の流れに」は実在の女性をモデルにして作られた。

私は元気一杯の歌よりも、寂しく物悲しい響きをもつ歌の方が好きである。藤原氏は「敗北感に打ちひしがれる。そんなときに聴きたくなるのは、不思議なことに明るい歌ではなく、悲しい歌なのです。悲しい歌のほうが力が沸いてくる」と語っている。私は敗北感に打ちのめされていることが多いということか。

五木氏は「昔の歌には『国家の品格』ならぬ『歌謡の品格』があったわけですよ(笑い)」という。品格のほどは分からないが、昔の歌謡曲は長期間、何度も聞けたし、覚え易かった。最近の若者たちのミリオンセラーの歌は歌詞がはっきり聞き取れず、覚えられない。私も頭が固くなり世の中について行けず、K姉のご期待に添えなくなってきたのであろうか。