牧師室より

先週の「牧師室より」の続きを書きたい。山本譲司氏は著書「累犯障害者 獄の中の不条理」の最後で、ある刑事裁判を紹介している。被告人は40歳代前半で、中程度の知的障害を持つ男性である。母一人子一人の環境で育ち、母親は彼の服役中に亡くなった。出所した彼は母親の家に入った。それが「住居侵入罪」に問われた。下記のように裁判の様子を描写している。

「弁護人の被告人尋問は、あっさりと終わり、その後の検察官による尋問が続いていた。

『君ね、何とか言いなさいよ。日本語わかるんだろう』

検察官は、先ほど来、苛立ちを隠せない。

『もうあそこの家は、君の家じゃないんだ。お母さんもいないの。勝手に他人の家に入ったら犯罪になるんだ。それくらいわかるだろう』

 被告人は、法廷に入って以来、肩を窄めて震えていた。その顔は、いまにも泣き崩れそうな表情である。

『君ね、刑務所から出てきたばかりでしょ。もう悪いことをするのはよしなさいよ』

『うぉー、うぉー、うぉー』

突然、被告人が堰を切ったように泣き声を上げだした。それに対して、検察官は大きな溜め息をつく。一方、国選弁護人である若い弁護士は、閉口したように顔を歪めている。

『おかーたん、おかーたん、うぉー、うぉー』

母親に救いを求めるように、あちらこちらに目を走らせる被告人。するとだ。ズボンの裾から液体が漏れてきた。どうやら、彼は失禁してしまったらしい。そして泣き声は、さらに大きくなった。

『はい、はい、休廷』

裁判官は邪険にそう言い放つ。」

 山本氏は、これが日本の裁判の日常風景であるという。被告人は実刑判決が言い渡され、服役することになるだろうと言い、最後に「障害者を刑務所の『入口』へと向かわせない福祉の必要性を、痛感せずにはいられない」と結んでいる。

 マスコミは事件当初は大々的に報道するが、容疑者が障害者となるとぴたりと止める。山本氏の報告は衝撃的である。

 イエス・キリストは「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく、病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と語られた。この言葉は、障害者たちの復権であり、イエス・キリストはこれに向かって生き、そして、これを神の国として現わされた。