牧師室より

「〈第三世界〉神学辞典」がこの2月に出版された。ソ連の崩壊によって共産主義体制は消滅したのだから、第三世界という分類はなくなったという見方もある。しかし、周囲から打ち捨てられ、自力では未来を形作れない第三世界は厳然として存在する。第一世界の中にも、第三世界はあるという認識で表題をつけたと言っている。

「帯」には「キリスト教の『いま』がわかる−欧米中心からそれぞれの地域へ。神学者中心から民衆中心へ。周縁化された地域から・人々の視座からの豊かな神学的アプローチ」と本書の特徴を表している。

今までになかった画期的な辞典であると思う。編集協力者は米国人もいるが、エジプト、インド、ペルー、ナイジェリア、ガーナ、コスタリカなどの人々が関わっている。内容は、もちろん従来の神学辞典で取り上げた主題を扱っているが、その書き方は全く違っている。何より地域で起こった神学を大きく取り上げている。ラテンアメリカの「解放の神学」、韓国の「民衆神学」、タイや台湾の神学、そして日本では栗林輝夫氏の「荊冠の神学」などを紹介している。

訳者の林巌雄と志村真の両氏は「あとがき」で下記のように書いている。「ポスト植民地主義、下からの視点(民衆中心)、文化内受肉、宗教間対話、女性尊重(男性中心主義の克服)多様な価値観(宗教、文化、民族)への寛容性など共通するコンセプトが貫かれています。」

欧米の神学が宗教的・文化的優位を誇り、植民地化した第三世界を席捲していった事実を否定することはできないだろう。ところが、その第三世界から生き生きしたキリスト教信仰が世界に発信されている。それは教義学的に構築された神学や伝統的な教会観ではなく、福音書のイエス・キリストの生と死を自分たちの置かれた現実からリアルに受け止めた住民たちの神学である。

日本の教会も欧米の神学から多くを学んできた。それは、それなりの意味と理由があった。しかし、この辞典を読んで見ると、神の働きは世界中に大きく広がり、神の子キリストの受肉が豊かに受け止められていることが分かる。キリスト教信仰は実に多様である。第三世界から発信される神学を学んで対話し、自分の信仰のあり方を捉え直す必要があると改めて思わされた。