牧師室より

先週に引き続き「礼拝」について書きたいと思います。

イエス・キリストはサマリアのシカルの町を通られました。ここには族長ヤコブが掘った井戸があり、イエス・キリストは一人残って、休んでいました。太陽が真上にある時でしたが、一人の女性が水を汲みに来ました。彼女にイエス・キリストは水を求めました。ここから二人の会話が始まるのですが、全くかみ合いません。彼女はイエス・キリストに反抗的です。イエス・キリストは話題を変え、夫を呼んできなさいと言うと、「わたしには夫はいません」と答えます。イエス・キリストは「あなたには5人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない」と彼女の生活を指摘します。その時、彼女は真顔になって、私たちサマリア人はゲリジム山で礼拝をしていますが、あなた方ユダヤ人はエルサレム神殿で礼拝をしています、どちらが本当の礼拝でしょうかと問います。

彼女は5人の男と結婚したが、破れ、今の男とも同棲関係にある。深い男性不信の中で荒れた生活をしていたのです。人々から後ろ指を刺され、悪口を言われるのを避けるため、誰も来ない真昼に水を汲みにきたのです。そして、すさんだ心がイエス・キリストへの反抗的な物言いになったのです。

しかし、彼女は本当の礼拝をしたい。そうすれば今の生活からぬけ出し、救われると思ってきたのです。イエス・キリストを預言者と見、ゲリジム山とエルサレム神殿での礼拝はどちらが本当の礼拝なのか、彼女の深い問いをぶっつけたのです。神礼拝こそが自分を救ってくれることを知っていたからです。

その問いに対し、イエス・キリストは時や場所に限定されないで、「霊と真理をもって父を礼拝する時がくる。今がその時である」と答えます。彼女はメシア・キリストが来られる時、一切を知らせてくれますと言うと「それは、あなたと話をしているこのわたしである」とメシア・キリストであることを明言されます。

今日は復活日(イースター)です。十字架の死の中から復活されたイエスを私たちの主・キリストとして礼拝しています。霊と真理をもって礼拝することによって、彼女が必死に求めた救いへと導かれます。礼拝は救いへの神からの招きです。