牧師室より

朝日新聞で連載している「折々のうた」で大岡信氏は「二ライの詩」に所収されている下記の歌を紹介している。「戦いのない鳩の群れ翔ぶ星だった『ああ、かぐや姫の眺めた地球は』」中程喜美枝。中程氏は沖縄生まれで、現在も沖縄で活躍している歌人とのこと。「にらい」とは奄美・沖縄地方で海の彼方にある「楽土」で、中程氏は一貫して「楽土」への強い願いを歌っているそうである。大岡氏は上記の歌も「にらい」の裏返しの映像であると解説し、しかし、「一歳の弟奪ひし沖縄戦時経てもなほ瞼の奥に」という現実を歌った歌も紹介している。

年も押し迫った時、教育基本法が改定された。国と郷土を愛するという文言が公然と闊歩するだろう。「愛する」という個人的感情が国によって左右される時代になる。「防衛庁」が「防衛省」に格上げされた。後は「憲法9条の2項」の「陸海空その他の戦力は、これを認めない。国の交戦権は、これを認めない」を削除するだけとなった。戦争のできる国になったのではなく、戦争をする国に向かってまっしぐらである。イラクに派兵された自衛隊員を天皇がねぎらったという報道を見て、こんな時代になったのかと愕然とした。

私は今、ドイツ教会闘争に関わり、強制収容所に送られたマルチン・ニーメラーの言葉を思い出す。「ナチスが共産主義者を攻撃した時、自分は少し不安であったが、とにかく自分は共産主義者でなかった。だから何も行動に出なかった。次にナチスは社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者でなかったから、何も行動に出なかった。それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、自分はそのたびにいつも不安を増したが、それでもなお行動に出ることはなかった。それからナチスは教会を攻撃した。自分は牧師であった。だから立って行動に出たが、その時は既に遅かった」。ナチスを崩壊させたのはドイツ教会闘争の戦いではなく、連合軍の軍事力であった。言葉や思想は早く発しなければ、本来の力が発揮できない。

2006年が今日で終わる。強い者の高慢と不正、そして自分より弱い者へのいじめで明け暮れたような年であった。弱い者が正当に復権していくところに、平和が実現される。弱く貧しい者を神の名において是認された主イエスの福音がまぶしく見えた年であった。この福音を発信していきたい。