牧師室より

婦人会クリスマスは小井沼真樹子牧師を迎えてメッセージをいただいた。テレビで、どんなに働いても生活できない「ワーキングプア」の実態が放映されていた。人々がクリスマスを楽しく祝っている最中、売れ残りのマッチで暖を取りながら凍え死んだ「マッチ売りの少女」は現実にあるのではないか。巷では商業主義のクリスマスで賑わい、教会でも年中行事のクリスマスが行われているような気がしてならない。今年、新しく御子イエスと出会いたい切実な思いがあると話し始めた。

真樹子師は、昨年のクリスマスは両手が利かなくなった國光師を支え、高齢者をケアする「シャローム」の奉仕に多忙を極めた。今年は、國光師を亡くし、冬ごもりのような状態でクリスマスを迎えようとしている。

その真樹子師は、ルカ福音書215節から20節までのみ言葉から語られた。羊飼いたちは天使から「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」と告げられた。彼らは立ち上がってベツレヘムに向かった。今立ち上がる元気の出ない真樹子師は、彼らをベツレヘムに向かわせた力は何であったのだろうかと考えさせられた。彼らは過酷な状況にあっても、自暴自棄にもならず打ちしおれることもなく、切実な願いを持って長いこと待っていた。理不尽を許さず、愛と正義の救いが神からもたらされることを信じて待っていたのであろう。彼らは立ち上がって歩き出し、飼い葉桶の御子を捜し当てた。東方の博士たちも遠い国からはるばるユダヤまで旅をしてきた。ヘロデやエルサレム神殿の偉い宗教家たちは、新しい王の誕生を聞いても動こうとしなかった。自分たちの権力と富に安住し、立ち上がろうとしなかったからである。

私たちも動かずにいる限り、本当の意味での飼い葉桶の御子を捜し当てることはできない。クリスマスの出来事は十字架を負われた主イエスに向かって立ち上がって歩き出すことへの招きである。自分を受け入れ、隣人を愛して共に生きようとするところで、飼い葉桶の御子に真に出会えると語られた。