牧師室より

ドイツナチズムの強制収容所から奇跡的に生還したヴィクトール・フランクルは名著「夜と霧」を解放直後に著した。これを読んだ時、強制収容所の地獄に恐怖した。そして、アウシュヴィッツに行ってみたいと思った。南吉衛牧師がドイツにおられ、先生の案内でアウシュヴィッツとビルケナウを訪ねる機会を得た。戦争は人をここまで狂気にするものかと殺人工場に戦慄した。

フランクルは多くの書物を出版しているが、私は、「それでも人生にイエスと言う」を愛読した。

最近、米国の臨床心理学者のハドン・クリンバーグ・ジュニアがフランクル夫妻に長時間インタビューして、夫妻の生涯を紹介した「人生があなたを待っている−〈夜と霧〉を超えて」という本が翻訳出版された。フランクルの高い知性と深い人格に感銘を受けた。

強制収容所から辛うじて生還しながらも、自殺した方はかなり多い。人間の罪深さに絶望した人もいるだろう。深いところで、生還したことへの自責の念に苦しんだという話も聞く。フランクルは人生を肯定的に捉えて、読む者に希望を与えている。ところが、クリンバーグによると、フランクルも若い時には、ニヒリズムに苦しんだという。哲学的思索の中から、ニヒリズムを抜けきり、大いなる楽観を体得した。それが強制収容所から生還する力になった。 

被収容者たちは「ブーヘンヴァルトの歌」をよく歌った。それは「たとえどんな運命が待ちうけていようとも/私たちはそれでも人生にイエスと言おう/いつかその日は来るのだから/そのとき私たちは自由を手にする」という歌詞であった。夜と霧に包まれた絶望的な闇の中で、なお人生にイエスと言って、自分を待っている人のために、また使命のために歩み出そうという希望を持ち続けた。クリンバーグは、この希望を「人生があなたを待っている」と表したのであろう。

フランクルが75歳の時の講演で下記にように語っている。「意味への意志がひとたび満たされれば、人間は幸福になると同時に苦しみに耐え、欲求不満や緊張にも耐えられるようになるからです。…… けれども意味を求める意志が挫かれてしまうと、たとえ快適な生活や豊かさに取り囲まれていたとしても、そのまっただ中にあって、自分の命を絶ちたいと考えるようになるのです。」そして、「意味」とは将来の進路、愛する人、超越的な存在を知っていることだと語っている。