牧師室より

日本の経済はバブル期に近い好景気で大学卒業者たちの就職状況は良いと報道されている。しかし、派遣社員、フリーター、ニートなどと呼ばれている人々が全労働者の3分の1にも達している。彼らはいつでもリストラされ、給与も低い。企業は、諸々の原因があるだろうが、彼らによって息を吹き返したと言える。非正規雇用者の不安定さと若者の希望のなさは大きな社会問題である。

フリージャーナリストの斎藤貴男氏は「分断される日本」という本を上梓している。斎藤氏は、総中流化と言われた状況が「上流と下流」に激しく分断されていると報告し、その分断は経済面だけではなく、監視する側とされる側、更にDNAでも選別されていると言う。

私がショックを受けたのは教育問題である。2002年から小中学校では「ゆとり教育」が始まった。それは詰め込み教育が落ちこぼれを作り出したので、それを無くそうと3割ほどの授業時間と内容を減らすという文部省の説明であった。

ところが、教育課程審議会の会長であった作家の三浦朱門氏に取材したら、全く別の視点であることが判明した。斎藤氏は、3割も減らしたら学力が更に低下するのではないかと聞いた。三浦氏は下記のように答えたという。「平均学力なんてものは低い方がいいんだ。戦後、できもしない落ちこぼれのために手間、暇、金をかけすぎたから、全体の底上げを図ることはできた。しかしその分、できない子のために先生方や手間や予算がかかりすぎたためにエリートが育たなかった。だから、今のていたらくなんだ」。「できん子はできんままで結構。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえばいいんです」。ゆとり教育は手段で、本来の目的はエリート教育であるという訳である。

子どもの頃から選別され、市民社会が回復不可能なほどに分断されたら、「実直な精神だけを養」うどころか、荒廃は加速するばかりである。

「和」を尊ぶ「美しい日本」は消え去る。