牧師室より

イスラエル人にとって奴隷から解放された出エジプトは神の恩寵の決定的な体験であった。モーセはエジプトの王・ファラオに、礼拝のため3日の道のりの荒れ野に行かせてくれと要求する。逃亡を察知したファラオは断固として認めない。奴隷という底辺労働者がいなくなるとエジプトの経済が破綻するからである。

モーセとファラオの死闘が始まる。「血、蛙、ぶよ、あぶ、疫病、はれ物、雹、いなご、暗闇」と九つの災いの奇跡で、ファラオに出エジプトを認めさせようとしたが、彼は応じない。そこで、最後の「主の過越」の奇跡が起る。羊の血を柱と鴨居に塗りつける。その家はイスラエル人の家であるから主は過越されるが、塗っていないエジプト人の家に入り、初子(長子)をことごとく撃たれる。この奇跡にファラオは降参し、出エジプトを求めざるを得なかった。「主の過越」は奴隷解放の原点であり、彼らは今も「主の過越」を覚えて祝い合っている。

この「主の過越」は何であったのか。私は初めて、この件を読んだ時、「主の過越」は奴隷たちの反乱、今で言うテロだと思った。神ご自身が無辜の初子を殺害することはあり得ない。奴隷の人口爆発を恐れ、男児はナイル河に投げ込まれ、わらを与えられずに規定通りのレンガ作りを命じられたイスラエル人の悲しみと怒りは頂点に達した。彼らは秘密裏に、そして緻密に計画し実行した。初子殺害が歴史的事実であるならば、奴隷たちの反乱であろう。

911事件」を「同時多発テロ」と呼んでいる。三千名弱の方々が一挙に亡くなった悲惨なテロであった。以来、世界の情勢は一変した。米国は「テロとの戦争だ」と言って、同盟国を引き連れてアフガニスタン、イラクを攻撃した。この二つの戦争によって、双方の死者は「911事件」の30倍とも40倍とも言われている。そして、事態はますます悪化するばかりである。米国の怒りを理解するが、テロと関係のない犠牲者たちの米国と同盟国への怨念は歴史の中に深く堆積されていく。理不尽な抑圧を受け、力の差が歴然としている場合、聖書の民が起こしたような反乱に訴える方法しかないだろう。何をテロと言うか、正当なレジスタンスとは何かが問われる。そして、テロやレジスタンスを必要としない世界にすることが政治ではないか。