牧師室より

韓国系の「民団」と北朝鮮系の「総連」が歴史的な和解をしたというニュースがあった。韓国は軍事政権時代に激しい「反共政策」をとっていたので、両者の戦いは凄まじいものがあった。韓国の「太陽政策」が雪解けをもたらしたと嬉しく思った。ところが、わずか1ヶ月半で和解は白紙撤回された。

アジア・太平洋戦争中、朝鮮半島から、強制連行された人、生活基盤を奪われて新天地を求めた人、野心を持って来た人など、多くの人々が来日した。日本の敗戦後、彼らの多くが祖国に帰った。しかし、帰国できなかった人々が在日として残った。日本社会で厳しい差別を受けながら、懸命に生きてきた。そして、韓国と北朝鮮の分断によって、在日も「民団」と「総連」に分かれた。

私が牧師になりたての頃、在日の友人の父親が亡くなった。父親の日本での過酷な生活を思い、倒れ伏した彼の姿が忘れられない。その時、私が葬儀をしたが、民団と総連の人が代わる代わるに来て、自分たちの手で葬儀をするようにと迫った。同胞間の争いを目の前で見せられた。

在日は、日本人からの差別と同胞間での争いという二重の苦しみを負ってきた。この苦悩に関し、日本は責任がある。

北朝鮮による「拉致問題」が発覚した時、在日は悩んだ。殊に総連の人々は苦しんだ。チマチョゴリを着た女性たちが理不尽な嫌がらせを受けた。

今回の和解には無理があったと言われているが、北朝鮮のミサイル発射が白紙撤回の要因になったと言える。日本で生活することが困難になるため、北朝鮮との関わりを切らざるを得なかった面もあるだろう。私は「ディアスポラ(祖国を離れて他国に住む人)」の悲劇を見る思いがする。彼らの生活基盤は弱い。周りから、受け入れてもらえないと困窮は深まる。

在日は、祖国の政治状況には責任を持っていない。彼らへの嫌がらせは決して赦されることではない。在日に苦悩を押し付けた責任は日本にあるのだから、彼らが生活し易いように手を伸べるのが当然ではないか。出エジプト記2226節に「寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない」とある。

ミサイル発射問題に関して、徒に緊張感を煽ったり、敵基地先制攻撃論などはもってのほかだと思う。