牧師室より

教会創立26周年記念礼拝を神の導きと祈り支えてくださった方々への感謝を込めて捧げた。今年は、農村伝道神学校で講師をしておられる池田 伯牧師をお招きした。

説教では「主の支配を生きる」と題して話された。マルコ福音書115節に「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」とある。この言葉は、主イエスの宣教の最初の言葉であるが、同時に主イエスの生涯の意味と使命を語った言葉でもある。主イエスは、神の福音として「神の国」を現された。その神の国とは権力をもって支配することではなく、創造者である神が主イエスにおいて人間を救い、生かそうという愛の支配の実現である。

そして、その内実をコロサイ書113節〜20節から話された。主イエスの十字架の血によって、贖い、罪を赦して神と和解させ、平和を打ち立てられた。この平和の中に私たちは既に置かれている。現実がどんなに破れていようとも、神に祝福された存在として立たせられている安らぎこそが救いである。私たちは信仰をもって、この主イエスの支配にあることを受け入れ、喜ぶことができる。

そこから、信仰の三層について話された。@既に与えられている。私たちは信仰をもって、主イエスの支配にあることを受け入れ、喜ぶことができる。A約束されている。終末時には完全な形で贖われることが約束されている。B求められている。主の支配の実現にふさわしく生き、死ぬことが求められている。現実の苦悩に飲み込まれるのでなく、神の恵みを証しする責任がある。

主イエスは最後の晩餐をした後、弟子たちにお別れの説教をされたが、その最後に「あなた方は世では苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」と話された。この言葉に主イエスの支配が現されている。

池田牧師は、み言葉から丁寧に私たちが置かれている恵みの現実を説き明かしてくださった。

午後の研修会では「教団の現状と私たちの教会の関わり」について講演してくださった。教団と各個教会は法的側面と信仰的側面をもって関わっている。教団の歴史と信仰告白を中心に話された。教団は成立時からの過ちを率直に罪責表明をする必要がある。また、教団の「信仰告白」の不備を多角的に指摘された。福音に生きるキリストの教会として「贖罪信仰」だけではなく、「世のためにある教会」の積極的な働きを表し、教団を形成する課題を担うようにと結ばれた。