牧師室より

 朝日歌壇の選者・馬場あき子氏は「ドミニカに友移住して半世紀打てども打てども石の野と知る(鳥取県)中村麗子」を第一首に選び、「ドミニカ移民の涙の労働が目に浮かぶようだ。その後の幸運は掴めただろうか。」とコメントしている。

「カリブ海の楽園へ」という募集ポスター、「肥沃な土地18町歩を無償譲渡」という夢のような話で移住者を募った。1956年、28家族がドミニカに渡った。着いてみると、約束の大地はひび割れ、石ころだらけの乾燥地であった。作物など作れる土地ではなかった。しかも、「無償譲渡」ではなく、「耕作権」を認めるだけであった。帰るに帰れず、血のにじむ労働を強いられた。多くの死者が出た。自殺すれば、家族は帰れるのではないかと自らの命を断った人もいた。外務省の杜撰な計画で「棄民」にさせられた。国家に騙されたドミニカ移住者は2000年に損害賠償を求めて、政府を訴えた。移住から50年目の来月7日に、東京地裁から判決が出る。

垣根涼介氏は「ワイルド・ソウル」という小説で、ブラジル移民は「棄民政策」であったという一点で書いている。夢の楽園を信じてブラジルに渡ったが、アマゾンの灼熱大地に捨てられ、地獄の底を這いずり回る生活を強いられた。逃げ出すこともできないジャングルで、病に倒れ、また野垂れ死に、無残な死を迎えた人は数知れない。40数年後、生き残った三人の男たちが日本政府に果敢な戦いを挑む。総理大臣に一言「ブラジル移民は棄民であった。申し訳ない」と言わせるために大活躍をする。小説は現実離れした描写もある活劇であるが、興味深かった。

戦前、食料増産のためにと中国奥地に入植した人々も「棄民」にされた。彼らは守ってくれるべき関東軍にも捨てられた。敗戦前後に多くの犠牲者を出した。また、祖国への逃亡中、足手まといになると、自ら入水した老人がおり、中国人に預けざるを得なかった子供たちがいた。

国の政策が国民に益であるかを常に問う必要がある。政府は今、国民に説明することなく、一方的に米軍との一体化を進めている。大きな悲劇を生み出すのではないかと恐れる。