牧師室より

 半藤一利氏の「昭和史 戦後篇」は、例の語り口調によって重い歴史を分かりやすく、そして興味深く解説している。沖縄が返還された昭和47年までを語り、その後の昭和天皇の逝去までの17年間は我々が生きている「現在史」であり、また、資料が出ていないので「まだ歴史になっていない」と省いている。

 私は、日本は全てが何とはなしに進んでいく国柄ではないかと思った。何とはなしに戦争に突入し、何とはなしにバブルを膨らませた。そこには、理念や哲学がない。そのため、底なしの「無責任」が横行している。

 懐かしい話も沢山あった。私は子供の頃、「人間機関車」と言われた浅沼稲次郎氏が好きであった。理由は分からないが、貧しい者の味方という印象を受けたのかも知れない。しわがれ声の演説をラジオでよく聞いた。1960年、その浅沼氏は演説の最中に右翼の青年・山口二矢に刺されて殺された。あの日のちょうどその頃、私は盲腸の手術を受けていた。あの「社会党」から現在の社民党への低落は誰が予想しただろうか。

 半藤氏は「横丁の隠居なりのお節介な忠告を申し上げる」と言って、今の日本に必要なことを五つ挙げている。昭和史の専門家の洞察に富んだ忠告を紹介したい。

@          無私になれるか。マジメさを取り戻せるか。私を捨てて、もう一度新しい国づくりのために努力と理知を絞ることができるか。

 A 小さな箱から出る勇気。自分たちの組織の論理や慣習だけに従うとか、小さなところで威張っているのではなく、そこから出て行く勇気があるか。

 B 大局的な展望能力。世界的に地球規模で展望する力があるか。そのための勉強ができるか。

 C 他人に頼らないで、世界に通用する知識や情報を持てるか。

 D「君は功を成せ、われは大事を成す」(吉田松陰)という悠然たる風格を持つことができるか。

 この五つを挙げ、最後に「現在の日本に足りないのはそういったものであって、決して軍事力ではないと私は思います」と結んでいる。

 昭和の歴史は戦争の悲劇と経済復興の歴史であったと言えよう。その後の現代史は、競争原理による弱肉強食がまかり通り、諸々の格差が拡大し、混乱を深めているのではないか。人心の荒廃は加速するばかりである。見えない隣人を含めた他者との「共生」を求める「人間としての責任」を取り戻すことが大切であると思う。