牧師室より

 富坂キリスト教センター総主事の鈴木正三牧師が「キリストの現実に生きて ナチズムと戦い抜いたボンへッファー神学の全体像」を上梓された。何年も前から出版すると言っていたが、なかなか出版されなかった。鈴木牧師に会う度に「出版はまだですか」と迫っていたが、「新しい資料があり、ドイツに行って調べなければならない。もう少し待って」という返事が多かった。しかし、著作には並々ならぬ自信を持っておられた。3月にようやく出版された。読んで、時間がかかった訳が理解できた。膨大な資料を読みこなし、見事な研究成果をあげている。ボンへッファー神学の全体像を緻密に深く、そして誠実に紹介した労作に心から敬意を表したい。

 ボンへッファーが19歳の時、博士論文として書いた初期の「聖徒の交わり」から、晩年の「獄中書簡」までの著作を系統的に捉え、それらを過去と当時の神学はもとより、当時の時代・文化状況を踏まえ、多角的、立体的に紹介している。

ボンへッファーはヒトラーのナチズムが台頭した当初から、ヒトラーの反キリストを見抜き、これとの格闘で終始した。そして、ヒトラー暗殺計画に荷担し、それが発覚し敗戦の一ヶ前に絞首刑になった。

 ボンへッファー神学はダイナミックな神学であるが、鈴木牧師は「キリストの現実に生きて」と表題したように「キリストの現実」から全てを捉えている。「二つの現実(聖なる領域と世俗的領域)があるのではなく、ただ一つの現実があるだけである。すなわちそれは、キリストにおいてこの世の現実の中にあらわとなった神の現実である。 この世界の現実の全体は、すでにキリストのうちに引き入れられ、キリストにおいて結びあわされ、歴史の運動は、ただこの中心から出発し、この中心へと向かうのである。」キリストにおいて現された「神の人間への愛」の確かさへの信頼と信仰である。だから、「キリストの内にある究極の現実」によって「偽りの現実」は破られなければならないと主張する。

この「キリストの現実に生きた」ボンへッファーにとって、ナチズムのユダヤ人絶滅計画はキリスト者の罪責問題であった。苦難を負うユダヤ人の傍に立ち、同じ苦難を負うことがキリスト者であると、その生涯を貫徹した。それは、神のみ手の中にあるという「不屈の楽観主義」が支えたのであろう。獄中生活の最後、英国軍人ペイン・べストはボンへッファーから「これが最後です。私にとっては命の始まりです」という言葉を託されたという。