牧師室よ

 私は1967年に神学校を卒業し、伝道者になって、今年はちょうど40年目になる。荒れ野を旅する40年であったと言える。これからは、乳と蜜の流れる豊穣なカナンに入りたいと願うが、そうはいくまい。

 卒業した1967年の6月に結婚した。結婚生活も40周年になる。妻は結婚以来、働かなかったことは一度もなかった。仕事への意欲を持っていたが、牧師謝儀だけでは生活できなかったことも事実である。幼稚園、小学校、中学校、高校の教諭の仕事が多かった。その他、家庭教師、歯科医の助手、地方新聞の記者などもした。私が転勤し、また教会の奉仕もあったので、どの仕事もアルバイト、パート(時間講師)であった。横浜に転任した時も、私の招聘決定より先に、牧師たちが配慮して、妻の仕事先を決めてくださっていた。

 今年の3月で妻は、最も長く務めた横浜英和を任期満了で退職した。教育の仕事は好きで熱心に関わっていた。私としては、牧師をするために働き続けてくれたと思っている。40年間の妻の労苦に心から感謝したい。もう一つ感謝したいことは貧しい時でも、本の購入に反対されたことは一度もなかったことである。

 「秋吉牧師は奥さんでもっている」としばしば言われるが、その通りである。これから、妻はどのように羽ばたくのであろうか。その羽ばたきを応援したいと思う。ただ、いつものスピード料理からスロー料理に変ることを期待しようかと迷っている。