牧師室よ

幾人かの人に奨められ、映画「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」を観に行った。マルク・ローテムント監督は当時の裁判記録を入手し多くの証言を得て、極限状況に追い込まれたゾフィーの最後の6日間を史実に忠実に再現した。戦争という狂気の中で、生と死を見つめた感動的な映画であった。

21歳のミュンヘン女子大学生のゾフィーは兄と仲間の者たちと「白バラ」という秘密組織を作り、ヒトラー独裁政権に抗議するビラを撒いていた。6枚目のビラ撒きの時、見つかり、ゲシュタポに連行、尋問される。初めは逃れようと否定していたが、証拠が次々とあがり、逃げおおせられないことを知り、自白する。ゾフィーと尋問官との心理的やり取りは本当に迫力がある。ゾフィーは不安と恐れの中から、自分たちの良心と信念に対し、祈りによって深い確信へと高められていく。

「公開裁判」は声高に「反逆罪」を叫ぶ裁判官の独壇場であるが、ゾフィーは「明日は、あなたがここ(被告席)につく」と言い放つ。即刻、死刑が言い渡される。両親が面会に来て、父親は「お前は正しい。私はお前を誇りに思う」と言う。父と子は良心において結ばれていた。また、ギロチン死刑執行の前、3人の被告が短い時間、抱き合って別れを惜しむ。その時、「自分たちの死には意味がある」と語り合う。

私は彼女(彼)たちの死に贖罪的な意味があると思う。主イエスの十字架の贖罪死とは質を異にするが、ヒトラー独裁政権の罪を負わせられたことには間違いない。彼女(彼)たちの死が贖罪的な死であったと信じる時、彼女(彼)たちの死に深い意味を見出す。それは、良心と信念を貫いたヒロインとして見るだけでなく、残された者たちは彼女(彼)たちの死と関わる責任があることを認識させられる。

現在世界で、強権政治を行なっている国々は相当にある。日本がそうならないという保証はない。ヒトラー独裁政権下で、皆口をつぐんだ。良心に従って「物を言う」。これがゾフィーの死に関わる、私たちの責任ではないか。