牧師室よ

私は二つの裁判に注目していた。一つは「横浜事件」である。言論・出版関係者約60名が宴会をしていたのを、共産主義を広めようとしたと治安維持法違反容疑で逮捕された。激しい拷問で4人が獄死した。拷問による「自白」で起訴され、有罪判決を受けた。元被告の人々は全員亡くなられたが、「無実の罪」からの救済を求める再審が開かれた。横浜地裁は「免訴」を言い渡した。「免訴」とは刑の廃止や恩赦などで裁判を続ける意味がなくなった場合などに、裁判を打ち切るため言い渡す形式的判決だそうである。治安維持法がなくなっているので、裁判の意味がないということであろう。しかし、裁判所が逃げたとしか思えない。憲法学者の奥平康弘氏は「裁判所が法律論にこだわるのは分かるが、法の正義の実現にのっとって判断し、元被告は無実であるとの結論を言い渡すことができた」と言い、作家の辺見庸氏は「免訴は歴史の単なる廃棄物として公的になかったことにしたに等しく、ある種の記憶殺しだ」とコメントしている。

自民党はテロ予防と称して「共謀罪」という法律を作ろうとしているが、実質的には「治安維持法」ではないかと反対者は多い。

もう一件は「中国残留婦人訴訟」である。国策として中国東北部に多くの家族が移住した。戦後、取り残された子供たちは中国での過酷な生活を強いられた。国は棄民として置き去りにした加害責任がある。彼女たちは「早期に帰国させる義務を怠り、帰国後も自立への支援義務を怠った」として訴えた。13歳以上が残留婦人、それ以下は残留孤児とされている。残留孤児たちは生活保護を受け、中国の養父母を見舞いにも行けない貧しい生活をしている。集団訴訟を起こしたが、大阪地裁は訴えを退けた。今回の残留婦人の訴訟に対し、東京地裁は彼女たちの訴えを聞き、生活保護とは別の援助金制度も必要で、また日本語教育も貧困であると認めた。しかし、「国家賠償法で違法とするには、いま一歩足りない」と支援策を打ち消した。老後の安心は閉ざされた。

法は弱者救済のためにある。それが否定された二つの判決に大変失望した。最近、抵抗できない者への傷害、殺人事件が多い。裁判所がまず、弱者切捨て、虐待に歯止めをかけるべきではないか。