牧師室より

教会員のO姉はキリスト教主義学校の「広島女学院」で学ばれた。O姉から「広島女学院同窓会被爆60周年証言集 平和を祈る人たちへ」という本をいただいた。

広島女学院は爆心地から1キロメートルしか離れていなかった。教員、学生、生徒を含め350名が慰霊碑の過去帳に記名されている。九死に一生を得た60名くらいの人たちが当時を振り返って凄まじい証言をしている。幾度も被爆時のことを書いた本を読んだが、今回も改めて原爆の恐ろしさを噛みしめた。60年経って、ようやく書くことができたという人が何人もおられる。恐怖を胸の奥深くにしまいこみ、押し殺してきたのであろう。今証言しなければという思いで書いたと言われる。12歳くらいからの感受性の強い女学生が受けた悲劇は真っ直ぐに伝わってくる。しかし、彼女たちは言葉では被爆の地獄のような恐怖は表し得ないと言われる。

惨状については書けない。ただ一つ慰められたことは、被爆者たちは本当に助け合っていたことである。もちろん、助けることができずに苦しみ、自分を責める言葉は随所にある。深い傷を負いながらも、互いに可能な助け合いをした姿には心揺さぶられる。今日の私たちは、あのように隣人の苦しみを分かち合う気持ちを持っているだろうかと思った。もう一点は、被爆の惨状を直接身に受けながらも、日本の加害者性を冷静に書いている方がおられ、これに感動した。証言は「平和」への篤い願いと祈りが詰め込まれている。

先日「港南区9条の会」の「発足会」で講師のW氏が下記のような話をされた。中国、韓国、アジア諸国への蛮行は60年前の話なのだから、もう忘れてくれていいのではないかという。しかし、沖縄、広島、長崎で戦火に見舞われた人々は60年経っても決して忘れない。加害は忘却しやすいが、被害はそうはいかない。彼女たちの記憶は消えることがない。また、それを受け継いでいくことが私たちの責任である。過去の検証が未来を切り開くのだから。