牧師室よ

≪序詩≫ 「死ぬ日まで天を仰ぎ/一点の恥なきことを、/葉かげにそよぐ風にも/わたしは心苦しんだ。/星をうたう心で/すべて死にいくものを愛さなくては/そして わたしに与えられた道を/歩みゆかねば。/今夜もまた 星が風に吹きさらされる。」 

戦時中、日本に留学していた韓国のキリスト者詩人・東柱(ユン・ドンヂュ)氏の詩である。尹氏は禁じられていたハングルで詩を書いたため治安維持法違反で逮捕され、1945年2月、福岡刑務所で獄死した。27歳の若さであった。尹氏は、絶対的な天の前で悔いのない生涯を全うしたいと願う。しかし、時代の試練と苦痛の「風」に苦しまざるを得ない。永遠の目標であり、生の根拠である「星」を仰ぎ見て、死に逝く全ての人を愛したい。自分に与えられた道なら、どんなに苦しくとも、その道を歩いていこうと決意する。しかし、理想の星は、今夜も日本帝国の暴風に吹きさらされていると歌う。

 「十字架」という歌に心を打たれた。「追いかけてきた陽の光なのに/いま 教会堂の尖端(さき)/十字架にかかりました。/尖端があれほど高いのに/どのように登ってゆけるのでしょう。/鐘の音(ね)も聞こえてこないのに/口笛でも吹きつつさまよい歩いて、/苦しんだ男、/幸福なイエス・キリストの/ように/十字架が許されるなら/頸を垂れ/花のように咲きだす血を/たそがれゆく空のもと/静かに流しましょう。」

教会堂の先端で陽の光を浴びている十字架を仰ぎ見ると、神と自分との遠さを知らされる。繊細な詩人は現実に飛び込むことができず、孤独の中を彷徨している。しかし、葛藤と苦難を抜け出し、イエス・キリストのように十字架を負わされるなら、神から与えられた道として、受難を受け入れ「血を… 静かに流しましょう」と歌う。ヒロイズムや自己陶酔ではなく「頸を垂れ」と心の奥底に秘めた静かな決意である。

「やすやすと書けた詩」が最後の詩となった。後半で「人生は生きるのがむつかしいものなのに/詩がこんなにやすやすと書けるのは/恥ずかしいことだ。/六畳部屋は他人の国/窓の外で雨がひそひそ話しているが、/灯りをともして 暗闇を少し押し出して/時代のようにやってくる朝を待つ最後の私、/私は私に小さな手を押し出して/涙と励ましの最初の握手。」と歌っている。

望みの朝を迎えることなく、尹氏は拷問も受けたであろう、異国の牢獄で落命した。在学した同志社大学の庭に詩碑が建てられ、記念されている。