牧師室より

 東大教授の姜尚中氏とオウムのドキュメンタリー映画「A」を撮った森達也氏が「戦争の世紀を超えて−生きる。愛する。」という対談集を出している。二人は戦争を生々しく伝える場所を訪ねている。それは、アウシュビッツに代表されるポーランド、ドイツにあるナチスの収容所跡、東京裁判が行なわれた市ヶ谷記念館、そして韓国の独立記念館、朝鮮戦争の資料を保存している戦争記念館などである。二人はこれらに立ち、戦争の起こる背景や人々の戦争との関わりや歴史の評価など、広く深い対話を繰り広げている。

姜氏の言葉を紹介したい。「戦争の世紀が過去になりきってしまうために、私たちは何をしたらいいのか。二人とも、それを自問しつつ、記憶の場所に残る言葉に耳を傾けようとしてきた。でも死者の声は私たちの耳朶に届いただろうか。大地に染み付いた夥しい血の記憶を、私たちは想起することができただろうか。言葉の無力を感じながらも、私たちは必死に耳を澄まし、ただその声を受け入れようと試みた。それが、ひと時の幻聴でないことを祈りながら。」

森氏は下記のように語っている。「今日のイラクの犠牲者は80人、米軍の犠牲者は6人でジャーナリストが3人首を切られました。パレスチナでは35人、イスラエル人も11人死にました。ロシアとインドネシア、スペインと北朝鮮でも爆弾テロがあって、何人かが焼け死にました。日本人の被害者は今のところないようです。それでは明日のお天気に続いて、お待ちかねの、今日のナイター速報と大リーグ情報です。」

二人とも悲惨な戦争のうめき声が伝わってこない、また聞こうとしない乖離を語っている。確かに、地上に戦火の絶えた時はなかった。それは殺し、殺される者たちの苦悩を自分の痛みとして共有できなかったからではないか。

しかし、姜氏は「それでも、私たちは一人一人がこれまでとは違った夢を描いてみることで長かった戦争の世紀に幕を閉じることは可能なはずだ」と語り、森氏は「すべての人々が、世界を分かち合っていると思ってごらん。君は僕を、夢みているだけだというかもしれない。でも僕は一人じゃない。君も僕らと共に思うだけで、きっといつかは世界が一つになる」と語っている。二人の共通語は「夢」である。

キリスト教信仰は主イエスの再臨による歴史の完成である終末を信じ、望む信仰である。終末信仰はまさに「夢」である。私たちはこの夢を追って今を生きている。