牧師室より

イラクには3%のクリスチャンがいる。日本のクリスチャン人口の3倍強である。彼らは現在、迫害を受け外国に移住する人も多いと聞く。

キリスト新聞は、インドネシア東部のスラウェシ島ではクリスチャンに対するイスラム過激派の襲撃が続発していると伝えている。クリスチャンであるサルミナリス・エンデレ村長の遺体の一部が発見された。通りががりのトラックから黒いポリ袋が放り出され、その中にエンデレ村長の頭部が入っていた。

朝日新聞は、ゴッホの遠縁にあたる映画監督のテオ・バン・ゴッホ氏がアムステルダムの路上で銃撃され、さらに刺されて殺されたと伝えている。ゴッホ氏は「服従」という映画でイスラム教を女性の人権を侵害する宗教として描いた。遺体には、この映画の原作者であるソマリア系移民の女性国会議員への脅迫状が張ってあった。

オランダは異なる宗教や、移民に対し寛容な政策を取ってきた。事件後、暗殺への抗議が各地で起こり、政府や穏健派のイスラム団体は「民主主義を守り、暴力に反対する」と呼びかけた。しかし、南部地方ではモスクやキリスト教会などへ放火や手製爆弾が投げ込まれ、手紙による嫌がらせ事件が続発している。移民を受け入れてきたオランダ社会に深刻な分裂が見られる。

10年ほど前、サミュエル・ハンチントン氏が「文明の衝突」という本を著した。日本の識者たちはあまり評価しなかった。米国が勝ち抜くために示した諸提案を見て、私も学者の著作とは認め難かった。

歴史的な戦争の実態は宗教間の争いというより経済闘争と言える。しかし最近、伝えられる事件は宗教間の対立として見えてしまう。

聖書の言葉をそのまま受け入れ信じる立場を「キリスト教原理主義」と言った。これから「イスラム原理主義」という言葉が生まれた。双方の原理主義者たちは物事を短絡的に捉え「あれか、これか」に分類してしまう。彼らの認識の仕方が敵対関係を増幅させ、他者否定という悲劇をもたらしていると思える。

信仰は神だけを絶対とするのであるから、地上の全ては相対的な意味しか持ち得ない。この相対化が他者の受容を可能にする。信仰が戦争の原因にはならないし、してはならない。戦火で無残に殺された人の無念さ、また遺族の悲しみを想像できない私たちの貧しさは限りなく罪深いのではないか。