牧師室よ

天皇・皇后が各界の功労者を招いて赤坂御苑で開かれる園遊会で下記のような会話があったという。

天皇(東京都教育委員の米長邦雄氏に対し)「教育委員のお仕事、ご苦労さまです」

米長氏 「日本中の学校で国旗を揚げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」

天皇「やはり、強制になるというものではないのが望ましい」

異例な発言である。

1999年に国旗・国歌法が成立した。その条文は「第一条 国旗は、日章旗とする。第二条 国歌は、君が代とする。」という簡素なものである。当時の小渕首相は「児童生徒の内心にまで立ち入って強制しようとする趣旨のものではない」と答弁し、当時の野中官房長官も「強制的に行なわれるんじゃなく、それが自然に哲学的にはぐくまれていく努力が必要」と答えている。

園遊会での天皇の発言に対し、宮内庁は「政策や政治に踏み込んだものではない」と説明し、細田官房長官も「憲法の趣旨に反することはない」と述べた。確かに、天皇の発言は法案成立当時の政府見解に添うものと言えよう。

ところが現実は、米長氏が委員を務める東京都教育委員会は国旗・国歌に関し細かい指示を出し、監視役まで派遣している。そして、起立しなかった250人の教職員を処分した。東京都内の公立小学校の音楽教師である福岡陽子氏は信仰に従って「君が代」のピアノ伴奏を拒否した。それに対し「戒告処分」が言い渡された。福岡氏は、処分は思想信条の自由を定めた憲法19条などに違反していると取り消しを求める裁判を起こした。棄却されたが、不服として控訴している。

園遊会での米長氏の言葉に対し、天皇が同意的な返答でもしようものなら、国旗・国歌の強制はどれほど厳しいものになっていくだろうか。考えただけでもぞっとする。米長氏はそれを狙ったのではないか。象徴天皇制を逸脱することになる。

国民を取り込み管理しようとする最近の状況には息苦しいものがある。それに抵抗する声に力がなくなっていることに大きな危惧を感じる。小泉首相の靖国参拝を「憲法違反」と判決した福岡地方裁判所の裁判長は判決文を書いた時、「遺書」も書いたと聞く。思想、信条の自由は人間の尊厳の核である。