牧師室より

今年の特別伝道集会は、土井健司先生をお迎えした。「一神教はなぜ危ないと言われるのか」という講演をしてくださった。一神教は選民意識、狂信性、排他性が指摘され、それに終末信仰が加わり、自分たちだけの世界観に閉じこもると言われる。しかし、多神教も寛容ではなく、他宗教に対しては閉ざされている。宗教における寛容は個人とその集団のキャラクターに負うところが多い。

パウロは熱狂主義に対し、聖霊による「愛、平和、寛容、柔和」を諭している。また、今日の原理主義を聖書の批判的研究によって越えようとするが、限界がある。福音をどのように理解するか、キリスト教は何であるかをはっきりさせることから出発すべきである。

リンカーン大統領は「すべての人に慈愛をもって、神がわれらに示し給う正義に堅く立ち、すべての諸国民との間に、正しい恒久的な平和をもたらし、これを助長するために、あらゆる努力をいたそうではありませんか」と演説している。エラスムスは「キリスト教徒同志はもとより、異教徒に対しても、教皇が命じても、正義のためであっても、所有権をめぐるものであっても、戦争に徹底的に反対する」と熱く語っている。

神は自分の欲望や主張の代弁に用いられるものではなく、自らを砕かれながら絶えざる前進を促す、人には把握できない「生ける神」である。

説教は「人を愛すのになぜ神が必要なのか」と題して話された。神は愛である。その愛が独り子イエス・キリストを地上に遣わし、私たちを生きるようにしてくださった。ここには神の痛み、辛さがあった。愛は自然的、感情的なものだけでなく、犠牲を伴う「にもかかわらずの愛」で、神的な出来事である。この神の愛に押し出されて「互いに愛し合いなさい」と勧められている。

私たちは一つを見ることによって、他を見過ごしている。また、見ていても見ないことがある。そのような出会いの中で気付かされ、具体的に関わり合う時、神的な愛が切り開かれてくる。身近な者との交わりに「神の愛」のリアリティーがあると力説された。