◇牧師室より◇

 私たちの教会で2回、青年会中心と婦人会中心のツアーを組んで沖縄を訪ねた。痛ましい戦跡や米軍基地などを見て回った。嘉手納基地は沖縄本島の一等地を大きく占有し、米軍機が絶え間なく離発着の訓練をしていた。普天間基地は町の真中に滑走路があるような基地で、墜落したら大惨事になると誰もが思った。その普天間基地の近くにある沖縄国際大学の敷地に、米軍の大型ヘリコプターが墜落した。これまでも、米軍の誤爆、誤射はもとより、落下傘から降ろした車両の下敷きになって子どもが殺されたりもした。米兵による強姦、犯罪、交通事故は枚挙にいとまがない。15年戦争中は「日本人になれ」と戦争に駆り出され、日本で唯一の地上戦の地獄を味わった。戦後は米国の施政権下、土地を「銃とブルト−ザー」で基地として取り上げられた。平和憲法の「本土並み」を期待して「復帰」を果たした。しかし、何も変わらず、日本にある米軍基地の75%が沖縄に集中している。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、そしてイラク攻撃の基地として、常に戦争状態に置かれてきた。沖縄県民の大きな犠牲の上に、本土の繁栄と平和を得ていると言っても過言ではない。

 今回のヘリコプター墜落事故は大惨事にはならなかったが、いつでも起こり得る。大学構内という日本政府が管轄すべき場所なのに、米軍の完全な指揮下に置かれ、日本人は一歩も近づけなかった。事故原因も究明されないまま、同型ヘリコプターの飛行が再開された。日本政府は「日米地位協定」を理由に何の抗議もしなかった。沖縄県民の怒りはどれほどのものかと思う。

 橋本龍太郎元首相の時、危険な普天間基地の撤去が公表された。しかし、それに何倍もの代替基地が約束されていた。そして、代替基地が「辺野古」であると発表された。辺野古は「ジュゴン」が生息する美しい海である。地元住民を中心に反対運動が展開され、150日を越す「座り込み」が連日行なわれている。これに呼応して国会前で、50日近い「座り込み」が続いている。私も一度ではあるが、参加した。40名くらいが集まり、顔見知りの人も多くいた。

 明治公園で行なわれた「911」平和集会には沖縄から参加した人が米軍の横暴と日本政府のだらしなさ、そして「辺野古」移転の不当性を切々と訴えていた。

 戦争は常に、弱い立場に置かれた人々の犠牲の上で繰り返されている。辺野古の海で調査のボーリングが始まった。