◇牧師室より◇

 先々週の「牧師室より」で取り上げた「日本の現実−私たちの直面する課題とは何か?」の続きを書きたい。「直視すべき12の指標」の I に「自殺」を挙げている。

 バブル経済崩壊以前の自殺総数が最大であったのは1986年の25,667人であった。1998年に史上初めて3万人を突破し、以来3万人を越す異常な事態が続いている。

 統計上、人口10万人当たりの自殺数を自殺率と呼んでいる。戦後は10ないし15であったが、1998年以降は25前後となっている。ロシアは35.3で飛び抜けて高い。次がハンガリーの33.1で、日本は4位くらいの「自殺大国」になった。

 自殺急増の原因は40代、50代の男性を中心とした世代の自殺者の増加である。失業率と自殺率の変化の傾向はほぼ一致している。失業による経済的な困難と精神的アンバランスが自殺者を増している。報告している川上博弁護士は、まず失業保険制度が貧弱であると指摘している。日本では数十年間勤務して、失業保険支給はわずか1年未満であるが、フランスでは最高5年間の給付が受けられる。また、転職のための職業訓練施設の不備を挙げている。職業訓練学校の入学競争率が10倍を越えるところもあるという。失業者一人当たりの国家予算は2001年度を1980年度と比較すると半分以下になっている。失業者に対する手厚いセイフティ・ネットが不可欠であると書いている。

 今日、経済効率を高めるため、少人数で厳しいノルマが課せられている。業績を上げないと賃金が増えないどころか、減少する傾向にある。業績が悪いとリストラの対象になり、精神的負担は増大している。激務が「鬱病」を誘発し、自殺者を増やしている。「過労死」は日本発の世界通用語になっているらしいが、こんな不名誉なことはない。川上氏は、自殺は「失業」と「過労」の両面から増大していると報告している。

 安息日の厳守は神との交わりに心を注ぐことであるが、同時に仕事を休み自分自身を取り戻す聖書の民の知恵でもある。

 私は典型的な「鬱的体質」で、恥ずかしながら、自殺未遂の経験がある。その経験から言えば、これしかない」と事柄に埋没することが「鬱」に繋がっていく。聖書に「悪霊に取りつかれる」とあるが、まさに「取りつかれて」事柄の多様性、他の道があることが見えなくなる。私は疲れ過ぎないように気をつけ、また自分自身を見つめる余裕を持とうと自戒している。

 主イエスは「真理はあなたたちを自由にする」と語っておられる。自由は多様性を認め「取りつかれる」ことから解放してくれる。この自由は神のみを神とする信仰から生まれ、地上のことを相対化し、ユーモアを持って生きる柔らかな心を約束する。