◇神奈川教区「平和集会」宣言◇

 戦後59年を経た8月のこの日、私たちは平和の実現を願って集いました。恒久平和を願って作られた憲法は、戦争に向けて改悪の危機を迎えています。

 アメリカが始めた多くの戦争の一つであるイラク戦争は、イラクに平和をもたらしたでしょうか。

 「平和と自由のため」という言葉のもとで、暴力や武力が肯定され、周辺に追いやられている人たちに、恐怖と絶望がばら撒かれています。恨みと憎しみが、そしてまた新たな暴力が生み出されています。主権移譲されたはずのイラクでは今も悲惨な戦闘が続き、暴力の下、人々が犠牲になっています。あらゆる国家が「テロ」への恐怖に怯え、さらなる暴力に頼るという「暴力の連鎖」が世界をまきこんでいるのです。「大量破壊兵器」の危険を口実にイラクへの侵攻を行なった米国は、自らの過ちを認め、イラクから撤退すべきです。

 国家の都合やくだらない誇りのための身勝手な戦争の犠牲になるのは常に力の弱い子どもや女性、障がい者、民衆です。声の大きな人の影に声の小さな人々が潰される悲劇は、戦争の歴史につきものでした。このような悲劇を二度と繰り返さないためにこそ、日本国憲法は、国際協調による非戦、平和主義を高らかに謳っているのです。

 しかし、日本は、アメリカに追従し、自衛隊をイラクに派遣しました。イラクが必要としているのは、軍隊ではなく、民間の専門家やNGOによる生活や医療・経済の支援です。

 自衛隊は撤退すべきです。(中略)

 日本「本土」は、米軍基地を沖縄に押し付け、「暴力」に保護された「安全」を謳歌してきました。しかし、米軍第7艦隊の拠点とされ、ヨコスカ、座間、厚木など多くの基地を抱える「第二の基地県」である神奈川にある私たちは、沖縄と共に、基地撤去に向けて祈りと行動を合わせていきます。横須賀への原子力空母配備、米軍と一体化した基地機能強化が、行なわれようとしていますが、私たちは、これを許しません。基地はどこにも要らないのです。(中略)

 「平和」とは、いったい何でしょうか。「もっとも小さいもの」が大切にされ、将来への希望をもって安心して平穏な生活ができることなしに、「平和」はありません。私たちは「キリスト者」として、あらゆる抑圧・暴力に対して歩んだイエスに従い、「あらゆる暴力」「あらゆる思想・信条を抑圧する力」「あらゆる平和を脅かす力」に反対します。「平和」とは、平和をつくる人々との絶え間ない努力のプロセスです。

 私たちは、人と人とが支え合い、共に生きることを選ぶ社会を切望し、追い求めます。現実を直視し、絶望することなく希望を持ち、他者への視点を持って、考え、祈り、行動します。  2004814