◇牧師室より◇

 エルサレムで生まれ育った作家のデイヴッド・グロスマンの「死を生きながら」を読んだ。オスロ合意、ラビン暗殺、シャロン復活、911、イラク戦争と過去10年間、イスラエルとパレスチナは混迷を深めてきた。その折々の思いを綴った手記や他国のメディアに発表したエッセィ等41篇が収められている。自爆テロに怯え、題名のように「死を生きながら」生活している現地の緊迫が伝わってくる。しかし、グロスマンはパレスチナ人の置かれた状況を深く理解して、平和・共生への叫びのような声をあげている。他者の苦悩を受けとめることが自らの救済になるという視点がはっきり読み取れる。そして、このことが今、最も求められている大切なことではないか。

 パレスチナ人クリスチャン、ハナン・アシュライが「パレスチナ報道官 わが大地への愛」でパレスチナ側からの苦難をアラファトの報道官という立場から報告している。同時に、家庭を持つ母親の視点で書いている。パレスチナ人は圧倒するイスラエル軍の力の前で、家屋と土地を奪われ、爆撃を受け、検問によって自由に往来できない恐怖の生活を強いられている。

 グロスマンとアシュライは生活の場は対極にあるけれども、平和、共生への思いは全く同じである。彼らのような人々が大勢いるはずである。イスラエルでは兵役を拒否する若者が増えている。そして、人口密集地帯へのミサイル攻撃を拒むパイロットも現れてきた。しかし、現実には彼らの声は届かず、悲惨な報復の連鎖が続いている。人間は何と罪深いものだろうかと悲しくなる。イラクの現状を「パレスチナ化」と言う人がいる。悲惨な敗戦を経験した日本は報復を生み出す関係を作り出さない、また抑圧する側に組しない道を歩むべきである。