◇牧師室より◇

 「君が代・日の丸」が法制化された時、当時の小渕首相は強制しないと明言していた。ところが、東京都教育委員会は「君が代」斉唱の時、起立しない教師を大々的に処分している。生徒が起立しないと、教師の指導不足として処罰の対象にもなっている。中学生・高校生ともなれば、国民主権を知っており、天皇の世を賛美する「君が代」に矛盾を感じない訳がない。PTA会長が「君が代」に疑義を表明したところ、辞任させられる事件もあった。

 国際的な広がりをもって人権問題を鋭く見張っているアムネスティ・インターナショナルも都教育委員会に、起立斉唱の指導を職務命令で義務付けることは「思想、良心、表現の自由の侵害」であるとの抗議声明を出した。アムネスティはさすがに、国際的な視点をもって抗議している。まず、教師への処分は、日本も批准している国連の自由権規約などの国際人権諸条約に反する政策である。また、生徒への強制は子どもの権利条約に反する人権侵害である。更に、外国籍の子どもたちの存在を考え合わせると、人種間の分断を強化する働きを禁じた人種差別撤廃条約にも抵触する可能性があると、政府と教育機関への是正措置を求めている。

 最近の日本は国内だけでは事が進まず、国際的な問題になった時、始めて動き出すという情けない状態にある。「君が代・日の丸」は極めて国内問題であり、日本人の人権意識が問われている。

 私が理解できないのは「日の丸」を揚げ「君が代」を斉唱することによって、子どもの教育ができ「愛国心」が養われると本気で思っているのだろうかという点である。統一的な強制は反教育的であり、そこからは何も考えない「指示待ち」の人間しか生まれないであろう。自分で考え、主体的に判断を下すことのできる人間を作ることが教育ではないか。その中で、創造的な文化が培われ、歴史を豊かにしていく。強制でなく、信頼が教育の基本であるはずだ。