◇牧師室より◇

 半藤一利氏の「昭和史19261945」を読んだ。生徒4人のため寺子屋を開き、「昭和史講座」で語ったものを編集した本である。半藤氏も、ある時は「張り扇の講談調」、ある時は「落語の人情噺調」と書いている。外国人が2000万人以上、日本人が310万人も死んだ悲劇の歴史なので、不謹慎ではあるが、講談や落語のように楽しく聞き入った。

 昭和は日露戦争の勝利と満州を領土化しようとして始まり、1945年の敗戦で全てを失った。半藤氏はこの間の歴史から五つのことを学べと総括している。@ 国民的熱狂に煽られた。 A 抽象的な観念論を好み、具体的で理性的な方法論を検討しなかった。 B 他の情報を認めない日本型のタコツボ社会における小集団の弊害があった。C 国際社会を客観的に把握せず、主観的な独善に陥った。 D 大局観や複眼的な視点がなく、対処療法的で、短兵急な発想であった。

 半藤氏は、明らかな失敗に対しても全く無責任があったが、それは今日の日本人にも同じことが多く見られ、現代の教訓でもあると締めくくっている。

 私は敗戦までの昭和史を思う時、主イエスがレギオンの悪霊を豚に乗り移ることを許されると、二千匹の豚の大群は暴走し湖に突っ込み溺死したシーンを連想する。レギオンとはローマの六千人からなる恐怖の重武装軍団である。軍人は自らを破滅に追いやるまで一方向に暴走する。神風特攻隊、人間魚雷、戦艦「大和」など、帰還できない形での戦闘はまさにレギオンではないか。

 1933年の「ゴーストップ事件」で一人のクリスチャンのことが書かれているので紹介したい。一等兵の運転する車が赤信号を無視して突っ走った。巡査はもちろん止めた。このことで、軍と警察の大喧嘩になった。軍は「統帥権」や「皇軍」意識を振り回し、正当化しようとした。昭和8年当時、軍はこれほど横暴になっていた。しかし、「厳正なるクリスチャン」(半藤氏の言葉)の粟屋警察部長は一歩も引かなかった。一等兵と巡査が握手する写真を報道し一件落着したが、軍の責任者は退任し、非を認める形になった。軍に屈しなかった粟屋氏は広島市長になり、2年後、被爆し亡くなられた。

 最近、反戦ビラを配った人が逮捕された。イラクで人質になった人々は「反派兵」であろうが、彼らを「自己責任」という言葉でバッシングし、更に「反日的分子」と公然と言う人が出てきた。日本はもはや「戦時下」という人もいるが、確実に言論が封殺されつつある。