◇牧師室より◇

 米軍によるイラク人への虐待写真が公開され、激しい非難が上がっている。イラク人への理不尽な連行と取調べは以前から報道されていた。今回の写真でそこでの実態が提示された。イラク人が裸にされて嘲笑されている。イスラム教徒は自分の裸を他の人の前に決して晒さない。バングラデシュに行った時、一緒に水浴びすることはなかった。日本に来て、温泉に行っても決して入ることはない。裸にされることはイラク人には耐え難いことであったと思う。しかも、女性兵士に蔑まれている。誇り高い彼らには、殺されることよりも辛い屈辱であったに違いない。

 日本が中国占領に乗り出した時、当然反日ゲリラによる抵抗運動が起こった。日本軍はこれを制圧しようと必死になった。しかし、反日ゲリラと一般人の区別がつかない。そこで三光作戦(焼き尽くし、奪い尽くし、殺し尽くし)という地域全体の壊滅作戦が取られた。

 ベトナム戦争の時も、米軍はベトコンと農民の区別がつかなかった。全ての人がベトコンに、また、その協力者に見えただろう。それが「ソンミ村の虐殺」という悲劇を生んだ。

 圧倒する武力で占領、支配していても、誰が敵か味方か分からない時の不安は大きい。その不安は猜疑心と恐怖を増幅し、誰でも連行、虐待、殺害するようになる。

 今回の米軍による虐待も一部の兵士の行き過ぎた行為とは思えない。軍隊が持つ、組織的な病理だと思わざるを得ない。戦争は人を殺し、殺され、物を破壊する狂気の中で遂行される。その戦争に関わる兵士に正気を期待することは無理ではないか。正当な理由を見出せない戦争に送り出された兵士は虚無的になるだろう。それが、虐待、拷問に繋がる。

 残虐な虐待写真には、ただ怒りと悲しみを覚える。ブッシュ大統領が勝利宣言をした後も、1万人以上のイラク人が殺されている。怪我を負い、劣化ウラン弾で癌に犯され、また、生活の基盤を失った人々は、その数倍、いや数十倍に上るだろう。彼らの苦悩と悲しみが報道されることは少ない。命の重さが全く違う扱いを受けていることの不公平を痛切に感じる。

 イエス・キリストはこの事態をどう見られるかを思う。苦しみ、悲しみ、虐待され、殺されているイラク人に心を寄せられると確信する。今直接、イラク人に関わることは難しいが、彼らと共にあろうとすることがイエス・キリストに繋がる信仰とその証しである。